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細香の恋愛詩(2)

 頼山陽は安永9年12月27日(1781年1月21日)に広島藩の儒学者、頼春水の子として大阪で生まれた。2歳のときに父が故郷広島藩に儒者として召抱えられたために、広島へ移った。
 山陽は幼い頃から詩文の才があり、歴史に興味をもつ少年だった。その後、父春水が江戸在勤になると、叔父の頼杏坪について学び、18歳の時江戸へ遊学した。広島に帰国した寛政12年(1800年)9月、突如として脱藩をくわだてて上洛したが、追ってきた杏坪に発見されて連れ戻され、廃嫡された上に自宅に幽閉された。彼が育った家は広島市中区袋町に現存し、幽閉されていた部屋もそのまま残されている。ここはいま「頼山陽史跡資料館」として公開されている。
 この幽閉で山陽は学問に目覚め、3年間は著述に専念した。『日本外史』の初稿ができたのはこのときで、以後20年の歳月をかけて文政10年(1827年)に完成することになる。
 山陽は謹慎を解かれた後、父春水の友人であった菅茶山に招かれて、茶山が岡山に開いていた廉塾の塾頭となった。文化6年(1809年)、山陽30歳のときである。そして32歳で上洛して京都に居を構え、そこで塾を開いた。細香が山陽に出会ったのはそれから4年後のことである。
 山陽のところは一種のサロンの様相を呈していた。細香は7度上洛して、直接彼の教えをうける機会を得た。京都滞在はたいてい半月から1カ月におよび、詩酒の会や花見、紅葉がりの吟行に同行した。

 「砂川ニ飲ミ、賦シテ山陽先生ニ呈ス」と題した詩は、そんな一日の様子を描いたものである。

  好在東郊賣酒亭  好在なれ 東郊の売酒の亭
  秋残疎雨撲簾旌  秋 残して 疎雨 簾旌をうつ
  市燈未點長堤暗  市灯 未だ点ぜず 長堤暗く
  同傘歸來此際情  同傘 帰り来る この際の情

この詩については、中村真一郎氏が、 M. Vigden夫人が1981年にロンドンで行われたシンポジウム「江戸文化とその近代の遺産」に際して翻訳した英文を紹介している。

  A little drink enjoyed in the east of the town;
Windy rain of the late autumn
hitting the blinds and banners.
City lights were still unlit,
and the lanterns dark
We shared an umbrella all the way――
    such tenderness! (中村真一郎『江戸漢詩』、281頁)

 細香の詩はすぐにも英訳できるほど近代的色彩の強いものであることが分かる。なお、夫人は「長堤暗」を、“and the lanterns dark”としているが、郊外に遊んでそこで見つけた酒亭で飲んだ後、小糠雨の中、暗い堤を相合傘で戻ってくるという、時間の経過が表現されていないきらいがある。これは表徴的な漢語と英語の差なのだろうか。あるいは夫人は、「堤」の字を「提」と混同して、「二人が提げている提灯が暗く」と解釈したのであろうか。
 この遊山は文政7年9月15日のことで、山陽の門人木村力山の招待で行われたものだったという。これには山陽夫妻とともに山陽の母も同行していた。しかし詩では、山陽夫人や母親の姿はみごとに消されてしまっている。これは単に修辞上の処理だけではないようである。
 次は山陽との別れを詠った詩。

 唐崎松下拝山陽先生(唐崎の松下に 山陽先生に拝別す)

  儂立岸上君在船  われは岸上に立ち 君は船にあり
  船岸相望別愁牽  船と岸と 相い望みて 別愁ひく
  人影漸入湖煙小  人影 漸く湖煙に入りて 小さく
  罵殺帆腹飽風便  罵殺す 帆腹 風に飽きて便たるを
  躊躇松下去不得  松下に躊躇して 去ることを得ず
  万頃碧波空緲然  万頃の碧波 空しく緲然たり
  二十年中七度別  二十年中 七度の別れ
  未有此別尤難説  未だ有らず この別れのもっとも説き難きは

 唐崎は琵琶湖の西岸にある岬で、ここには一本の松があり、その下に唐崎明神が祭られていた。「罵殺帆腹飽風便」は、船が帆に追い風を一杯にはらんで走るのを見て強くののしった、という意である。細香を唐崎まで送った山陽たちは、ここから大津へ向う船便で引き返し、細香は彼らを見送った後、徒歩で琵琶湖畔を北上して、堅田から対岸の木浜へ渡ったと考えられる。いま琵琶湖大橋がかかっている付近に、湖東と湖西をつなぐ渡船があったのである。そしてこの唐崎での別れが二人の今生での最後となった。
 頼山陽は天保3年(1832年)に53歳で亡くなった。細香46歳のときである。
 細香はその後も詩作を続けたが、晩年の作には衰えを詠ったものが多くなる。

 丙辰冬杪余嘔血若干合戯有此作(丙辰冬杪 余 嘔血すること若干合 戯れに此の作有り)

  嘔血歳残慿枕時  嘔血す 歳残 枕による時
  只憐病状似先師  ただ憐れむ 病状 先師に似たるを
  人間司命冥官録  人間 司命 冥官の録
  無用如吾毎被遺  無用 われの如きは つねにわすれらる

 「冬杪」は冬の終わり。「司命」は人の生死を支配するもの、そして「冥官録」とはあの世の名簿、閻魔帳である。細香の喀血は動脈硬化が原因だったとされるが、病状が慕っていた山陽に似ていることをむしろ喜んでいたのである。彼女が亡くなったのは文久元年(1861年)9月4日の早朝、75歳だった。

  吾年七十四  わが年 七十四
  情味冷於灰  情味 灰よりも冷ややかなり
  無病身仍痩  病い無きに 身はなお痩せ
  綿衣欲窄裁  綿衣 せまく裁たんと欲す

 細香は生涯独身を通した。
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by monsieurk | 2011-11-27 09:54 | 漢詩
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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