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ムッシュKの日々の便り

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元政 (2)

 妙顕寺の日豊上人のもとで剃髪した元政は修行にはげみ、4年後の明暦元年(1655)の秋に、洛南深草の旧極楽寺薬師堂跡に小さな庵をむすんで、『法華経』の研究と宗議の解明につとめた。「称心庵」と名付けた庵では、1歳年下の日可が仕えた。そして九条村に住んでいた父母を近くに迎えて孝養をつくした。『艸山集』巻十七の「偶成」は、こうした状況を述べた詩である。
  
  携親霞谷共藏身  親を携えて 霞谷にともに身をかくす
  一鉢雖空心不貧  一鉢むなしといえども 心貧ならず
  猶有詩魔來得便  なお詩魔の来て便を得るあり
  曾無酒障自傷神  かつて酒障の自ら神を傷むるなし
  養痾幸臥北堂下  痾を養いて幸いに北堂の下に臥す
  開巻又逢西竺人  巻を開いてまた西竺の人に逢う
  夜深夢醒推枕看  夜ふけ夢さめて 枕をおしてみれば
  窓燈始滅月痕新  窓燈はじめて滅して 月痕あらたなり

 物質的には質素な生活だが、心は決して貧しくはなく、それどころか充実していた。修行の日々の合間には、詩神がインスピレーションを授けてくれることもあった。さらに経典を開いて読めば、そこでは遠い唐天竺の先人の僧たちに出会うこともできた。
 元政はもともと蒲柳の質だったが、修行を重ねることで肉体が衰えていくことは悲しかった。結核性の疾患がさまざまな形で身体の各所にあらわれてきた。頭痛に襲われ、風邪をひき、腹痛を覚え、気鬱にもなった。吐血し、歩行も困難となって苦しむこともあった。それでも彼は薄い麻衣をまとい、乾した野菜や豆腐を珍味として、戒律きびしい生活を送った。
 深草の庵は静かに修行をするための場所だったが、やがてその徳を慕って一般の民だけでなく仏教をこころざす若い僧も多く集まるようになった。『艸山要路』はそうした門下生にために書かれた行学の指針で、十個の条約をもって風規をさだめて信仰の道をしめした。元政は深草の地を艸山とも称していたのである。
 彼は病弱をおして多くの著書をあらわした。『元元唱和集』、『艸山集』、『艸山要路』のほかに、信仰に関するものとしては『如来秘蔵録』、『本朝法華伝』三巻、さらに『大智度論』、『法苑珠林』の校訂などがあり、多くの和歌を収録した『艸山和歌集』も名高い。

 寄夢無常
  このよをはうつゝになしてたれもなをまくらのゆめをゆめとみるらん

 遠村蚊遣火
  かやりひのけふりたてすはゆうまくれありともみえしやまもとのさと

 和歌のこころも性霊論の基づく漢詩と違いはない。『艸山集』三十巻に収められた詩は千五十一篇にのぼるが、手元にはこれを参照するのに便利な本がある。それは姉崎正治博士が編纂した『彙編艸山詩集』全二巻(平楽寺書店、昭和18年)で、元政の詩をテーマ別に分類している。項目は、「信行篇」、「回向篇」、「孝心篇」、「病身篇」、「閑居篇」、「雅懐篇」、「吟行篇」、「四季篇」、「物象篇」、「礼讃篇」、「身延行記」となっていて、そのうちの「物象篇」には、身近な事物を詠ったユニークな作が集められている。

 蠅

 八月尚残暑  八月 なお残暑
  蠅飛満屋宇  蝿とびて 屋宇にみつ
  鉢盂揮不去  鉢盂 はらえども去らず
  几格遂亦聚  几格おいて またあつまる
  因懐費智謀  よっておもう 智謀をついやし
  盡籠放遠浦  ことごとく籠めて 遠浦〔遠い水辺〕に放たんことを

 蚊

  清夜殷々又轟々  清夜いんいん又ごうごう
  帳中夢醒心忽驚  帳中 夢さめて 心たちまち驚く
  起吹燈火上短棨  起きて燈火を吹きて 短棨にのぼす
  満窓如塵不分明  満窓ちりの如くにして 分明ならず
  開戸萬里河漢清  戸を開ければ 萬里河漢きよし

 第三句の「棨」は灯火、短くしておいた灯心を上げた、第五句の「河漢」は天の川の意である。蚊の羽音を蚊雷(ぶんらい)といったりするが、元政の詩は、耳のそばでする蚊の羽音はまるで雷のように響き、夢を破られて、やむなく明かりをつけて窓をあけると、空には満天の銀河がかかっていたというのである。(注)
 そして

 硯 

  片石鑿來開面門  片石うがち來りて面門を開く
  一時吐出數千語  一時に吐出す 數千語
  直将大海傾翻去  直に大海をもちいて傾翻し去る
  満耳潮音本妙論  満耳の潮音 もと妙論

 「雲」と題した多くの作品の一つ――

  來往従風變幻新  來往風にしたがいて 変幻あらたなり
  天衣片々絶繊塵  天衣片々せんじんを絶す
  無心出岫無心去  無心にしてしゅうを出で 無心にして去る
  渠亦飄然世外人  かれも又ひょうぜんたる世外の人

 竹を詠った三篇。

  虚心抱節掃塵氛  虚心節をいだきて じんふんを掃う
  吾識王猷愛此君  吾はしる 王猷がこの君を愛することを
  日暮揺々天色合  日暮ようようとして 天色合す
  只看平地起青雲  ただみる 平地に青雲を起すことを

  自有世界來  世界ありてよりこのかた
  即已有此竹  即ちすでにこの竹あり
  自有此竹來  この竹ありてよりこのかた
  此葉終不禿  この葉ついに禿せず

  我觀竹之心  我れ竹の心をみるに
  艸木之空者  草木の空なる者なり
  我觀竹之形  我れ竹の形をみるに
  幽人之友也  幽人の友なり

 元政はことのほか竹が好きだった。彼は寛文八年(1668)2月、46歳でなくなるが、死期を悟ると弟子に遺誡をあたえ、辞世の一首を残し、遺言によって称心庵の南に葬られた。墓は土饅頭の上に竹を三本立てただけのもので、竹を墓碑の代わりとした。
京都に住んでいたころ深草に友人がおり、京阪電車に乗って深草を訪ねた折はよくこの墓にお参りした。現在は瑞光寺の境内の真ん中をJR奈良線が横切っていて、境内から墓へ行くには、線路の下のトンネルを潜らなくてはならない。石垣に囲まれた墓には、いまも三本の細竹が植えられている。ただ周囲はかつて竹が原とも呼ばれたころの面影はまったくなく、すぐ後ろには青い屋根瓦のマンションが建ち、そのかたわらは駐車場となっている。

(注) 朝日新聞の「天声人語」で、蚊については、子規に次のような戯文があることを知った。「汝の一身は総てこれ罪なり、人の血を吸ふは殺生罪なり、蚊帳の穴をくぐるは偸盗罪なり、耳のほとりにむらがりて、雷声をなすは妄語罪なり・・・」。出典をご存知の方はお教えいただきたい。
by monsieurk | 2011-12-04 09:00 | 漢詩
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