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「ブリューゲルの動く絵」

 ポーランドの映画作家レフ・マイェフスキ(Lech Majewski)の『ブリューゲルの動く絵』(原題はThe Mill and the Cross 「風車と十字架」)を川崎アート・センターで観た。近くには今村昌平監督が設立した日本映画大学もある。
 映画はピーテル・ブリューゲル(1526/30-1569)の名作《十字架を担うキリスト》(1564年制作)にこめられた意味の解明を目指している。ブリューゲルの原画(124×170cm)は、他の大作ととともにウィーンの美術史美術館の「レンブラントの間」に飾られていて、最初に観たときに圧倒された思い出がある。
 マイェフスキがこの映画の製作を思い立ったのは、アメリカの美術評論家マイケル・フランシス・ギブソン(Michael Francis Gibson)から、ブリューゲルの絵を論じた本“The Mill and the Cross:Peter Bruegel’s “Way to Calvary””(Acatos、2000)を贈られたのがきっかけだった。二人はブリューゲルの《十字架を担うキリスト》を映画にすることに決め、共同で脚本をつくったのである。
 彼らはブリューゲルの絵が描かれた時代のフランドル地方の風景と生活を再現するために大胆な手法を考えついた。絵の中にブリューゲル本人を投げ入れ、そこで繰り広げられている光景を描かせるという方法である。このアイディアには根拠があって、従来から絵の前景右端に立つ、白衣を着て帽子を被り、眼前に展開する光景に眼をこらす男は画家本人ではないかと言われてきた。映画にはレンブラントとともに、彼の良き理解者で、この絵の注文主でもあるニクラース・ヨンゲリンクも登場する。
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 フランドル地方の都市アントウェルペンの郊外、そびえたつ岩山のふもとの村の夜が明ける。巨大な岩山の頂に建つ風車小屋の帆が風を受けてゆっくりと回りはじめる。画家のブリューゲル(ルトガー・ハウアーが演じている)はスケッチ帳を手に、まだ眠っている家族を残して家を出る。村では素朴な生活がいつも通りにはじまった。
 村の若い夫婦は朝食をすますと、飼っている子牛を曳いて家を出る。村の外に広がる草原には、パン屋などがはやくも露店を開いている。若者夫婦もそこに子牛を連れてきたのだ。突然そこに、赤い服を着た騎馬兵士の一団があらわれ、若い夫を追いかけ、鞭で打ちのめすと、動かなくなった男を車輪に括りつけて木の上に晒し、車輪刑にしてしまう。
 兵士たちは当時フランドルを占領していたスペインの王フェリペ2世の外国人傭兵で、若者は宗教的異端者として嫌疑をかけられたのである。若妻はなすすべもなく泣き崩れるが、村人の多くは無関心を装うばかりである。
 ブリューゲルの絵では、画面右端に一本の木が見え、その頂に車輪が一つはめられ、そこに一羽の鴉がとまり、車輪の箭には布切れがぶらさがっている。これは当時行われていた車輪刑の装置で、空中高く晒された瀕死の男は、鳥たちが啄むのに任されたのである。絵をよく見ると、遠くにも同じように車輪をのせた木が立っている。
 ブリューゲルの絵には100人をこす人物が描かれているが、映画ではその中の十数人にスポットを当てて、彼らの当時の生活の様子を再現してみせる。16世紀、17世紀フランドル絵画を愛する者にとっては堪らない魅力である。
 マイェフスキ監督は《十字架を担うキリスト》のほかにも、ブリューゲルの絵を参考にして、当時の服装や生活の情景を忠実に映像化した。農民たちの歌や踊り、子どもの遊びなどは、《子どもの遊戯》(1560年)、《婚礼の踊り》(1566年)、《農民の踊り》(1567または1568年)に描かれた情景から取られた。
 ブリューゲルが生きた時代のフランドルはスペインに占領されて、過酷な宗教弾圧を受けていた。これに対して北部7州が反乱を起こした。独立と宗教改革を主張するカルヴァン派の人たちは、各地で聖堂を襲って聖像を破壊した。スペインのフェリペ二世はこれを弾圧するために軍隊を派遣、それをきっかけにいわゆる「ネーデルランド独立戦争」が起こった。時系列でいえば、国王による大規模な軍隊の派遣は、この絵が描かれた3年後の1567年だが、ブリューゲルはいち早くこうした事態を予感して、占領下にある故郷フランドル(ネーデルランドの一部)を舞台に、聖書に語られるイエス受難を描いたのである。
 イエスが悔い改めの必要を説いたカナンの地は、ローマ帝国の提督ピラトの支配下にあり、イエスはユダヤ教の長老や律法学者の手でピラトに引き渡され、十字架の刑に処せられた。
 ブリューゲルの絵には中央に、兵士に囲まれながら十字架を担いで運ぶイエスの姿が小さく描かれ、画面前景左では、丁度通りかかったキレネ人のシモンが、疲れ果てたイエスの代わりに十字架を担ぐように、兵士に無理やり連れ出されようとしている。そしてそれを阻もうとして抵抗する彼の妻。ただ彼らの姿は聖書で語られるエピソードというよりも、日常茶飯の夫婦喧嘩のように見える。
 ブリューゲルは聖書が伝える出来事を16世紀フランドルの日常的世界と重ねつつ描いたが、映画でも、イエスと同様に改革を説くマリアの息子は逮捕され、二人の盗賊とともに処刑される顛末が語られる。映画の中でマリアが、「息子の話に熱心に耳を傾けた人びとが、掌を返すように処刑を望んだ」と嘆くシーンがあるが、ブリューゲルの絵でも前景右手に大きく描かれている悲しみの聖母マリアの一団(彼女たちだけが人びとに背を向けている)を例外として、描かれている群集――市場へ行く途中の農民や、旅人、野原で遊ぶ子どもたちは、いままさに行われようとしているイエスの処刑には無関心であり、それを面白がってさえいる。
 画面右手上方には、やがてイエスが磔にされる丘に人びとが集まり、人垣が幾重にも出来ているのが遠望される。彼らはキリスト教最大の悲劇を目の前にしながら、それが自分たちにとって何を意味するかを理解せず、三人の処刑が行われることに興奮している。この日も、処刑の興奮がさめれば他の多くの日々と同じように忘れられていくのであろう。
 マイェフスキとギブソンが絵に読み取ったメッセージは、私たちの多くは世界を揺るがすような出来事に直面しても、それが自分に実害が及ばないかぎり無関心を装って日常生活に埋没してしまうという、ブリューゲルの人間観であった。映画を観おわった私たちは、ブリューゲルがこの大作にこめた思いを十分に感じ取ることが出来る。この映画は絵画解釈の新しい提示のこころみとなっている。
 マイェフスキは、最初この絵を忠実に映画に再現するには、ポーランドのクラクフで見つけた、絵によく似た岩山の麓で衣装を着た数百の人びとを配置すればよいと考えたという。ところが実際にテスト撮影をしてみると、出来上がった映像はブリューゲルの絵とはほど遠いものだった。広大な風景のなかに散らばった数百人の人びとを、遠くの人まではっきりと捉えるには、自然光のもとでの撮影では不可能だった。
 ブリューゲル《十字架を担うキリスト》を調べてみると、この絵は7つの異なる視点から構成されており、カメラ一点だけの視点ではそれを再現するのは不可能だったのである。そこでマイェフスキはロケーションで撮影した風景や背景画と、クロマキーで撮影した俳優の演技を最新の合成技術で合体させて完成させたという。
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by monsieurk | 2012-01-10 21:48 | 映画
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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