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ムッシュKの日々の便り

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ヴァルヴァンの思い出 I 見つかった手紙

 1970年代、80年代のパリには、貴重な書籍や自筆原稿を所蔵する老舗の古書店がまだあった。サン・ジェルマン・デ・プレ教会に近いサン・ペール通りの故マルク・ロリエの店もその一つだった。
 店の間口はさして広くはなかったが、扉を押して中に一歩入ると、棚という棚には垂涎の的の書物が並んでいた。モロッコ革の背表紙に金文字を浮かび上がらせた『悪の華』の初版と再版。1888年版のステファヌ・マラルメ訳『エドガー・ポー詩集』。これには親友アンリ・カザリスに宛てたマラルメの献辞と、カザリスの死後これを手に入れたアドワルド・ヴァッセルマンが、画家マリー・ローランサンに頼んでつくらせた有名な蔵書票がついている。ヴァッセルマンは装飾家で、屈指の蔵書家でもあった。そしてマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』第一巻、『スワン家の方へ』の初版・・・ひもとけば、いずれも著者の意気込みと、その書物を蔵した人たちの愛着が伝わってくる稀覯本ばかりである。
 訪れたその日、ほの暗い奥の机で書きものをしていたロリエは、挨拶もそこそこに、良いものが手に入ったと言いながら奥の書庫へ入っていった。やがて彼が手にして戻ってきたのが、マラルメがレオポルド・ドーファンに宛てた一通の手紙だった。横9センチ、縦12センチの薄茶色の厚紙に、晩年のマラルメ独特の繊細な筆致で書かれている。

   Samediヴァルヴァンの思い出 I 見つかった手紙_d0238372_19441385.jpg
      cher Dauphin
   J'ai voulu aller vous prendre la
  main, vous dire le charme
  de vos vers, ceux-là parmi les
  plus envolés; et combien j’ai
  été touché que vous ayez évoqué
  la voix de Villiers en un propos
  à moi tendre, merci…Ici on
  achève des influenzas; vos dames,
  sont elles bien? A elles nos trois
  cœeurs
  Stéphane Mallarmé

   土曜日
    親愛なるドーファン
   大変な飛躍をとげたあなたの詩の魅力と、
  私について語ったヴィリエのやさしい声を
  思い出させてくれたことに、私がどれほど
  感動したかを、訪ねていって、手をとりながら
  お話したいと思ったほどです。本当に有難う・・・
  こちらではインフルエンザも終わりました。
  あなたのところのご婦人方は、お元気ですか?
  私ども三人の心からの挨拶を。
              ステファヌ・マラルメ

 名宛人のレオポルド・ドーファンは、今ではほとんど忘れられた存在だが、19世紀末の作曲家・詩人で、精妙な曲や詩を数多く残している。
 6歳年下のドーファンとマラルメの交遊は、1874年に、二人がパリ南東60キロにあるフォンテーヌブローの森の近くに別荘をもったときにはじまった。
 マラルメはこの年の8月、フォンテーヌブローに近いセーヌ川畔の小さな村ヴァルヴァンに初めて避暑に行った。この辺鄙な田舎をマラルメは気に入った。マラルメ一家が泊まったのは、かつてのブルゴーニュ街道、現在の県道39号線沿いの古い旅籠で、街道を行き来する商人やセーヌ川を上下する船頭たちがよく泊まったところだった。このときからヴァルヴァンは、マラルメの生涯の安息の地となったのである。
 マラルメは間もなくヴァルヴァンに一軒の農家を見つけ、休暇の度にその二階を借りることにした。こうして夏の休暇を過ごしにやってくるマラルメとドーファンは急速に親しくなった。交際は家族ぐるみのもので、マラルメが死ぬ1898年まで続いた。
 マラルメとドーファンとの間に交わされた手紙は長らく未発見だったが、1974年にカール・ポール・バルビエの手で刊行された。これによってヴァルヴァンでのマラルメの動静が一層明らかになったのである。
 先のドーファン宛の手紙も、この際発見されたもののうちの一通なのだが、この手紙には単に「土曜日」とあるだけで日付がない。この短信はいつ投函されたものなのだろうか。この疑問は発表された一連の手紙をたどることで解くことができる。その鍵は、「私について語ったヴィリエのやさしい声を / 思い出させてくれたことに、私がどれほど / 感動したか」という個所にある。
 地中海沿岸の地ベジエに生まれたドーファンは、18歳のとき音楽家を志してパリに出て、オペラ・コミックなど数々の曲をものにして、19世紀末のパリで成功を勝ちえた。だがその一方で、故郷との接触を終生絶やさなかった。彼の故郷ベジエで発行されていた週刊新聞「エロー県」(L’Hérault)に、彼はしばしば詩を載せていた。「エロー」とはベジエがある県の名前をとったもので、典型的な地方紙だった。
 この新聞「エロー県」に、1898年の初め、当時ようやく隆盛をみるにいたった象徴主義を誹謗する記事が載った。著者はアルベール・アルノーといい、社会派を任じる道徳家で、象徴主義を軟弱で韜晦だとして、マラルメをその頭目だと槍玉にあげた。アルノーの記事が出た一週間後に、さっそく反論があらわれた。投稿したのはモンペリエの高等中学校(リセ)の学生で、マラルメに心酔していたエルネスト・ゴベールである。彼は「われわれ象徴派こそが新芸術の開拓者だ」と反論した。さらにその一週間後にはアルノーの再反論が載り、アルノーはその中で、自説を正当化するために、この年1月15日に文芸誌「ラ・プリュム」に掲載されたアドルフ・レッテの論文を引用した。
 詩人のレッテは、パリのローマ通りにあったマラルメの自宅で催された火曜会の常連だったが、その後マラルメから離れ、この頃は執拗なマラルメ批判を繰り返していた。アルノーが引用した個所で、レッテは、「マラルメ氏はわざと文章を難解にする術しか知らず」、「象徴主義者たちはマラルメ氏の催眠術に罹っているのだ・・・一刻もはやく、この詩人が、そのおしゃべりの中で展開する理論の臭跡を消し去らなければならない。彼の理論は、所詮、無感動、生命力の無視にほかならない」と述べていた。
 この時点で、ドーファンが故郷の新聞を舞台にした論叢に割って入った。パリではマラルメの信奉者も多く、アンドレ・ジッドをはじめ多くの若い詩人や文学者が、レッテの激しいマラルメ批判に対して反撃をこころみていた。だが地方のベジエでは、マラルメの真の思想を理解した者はいない。マラルメの知遇を得ている自分こそ反論を買ってでるべきだというのが、ドーファンの気持だったに相違ない。
 マラルメについてヴィリエ、つまりヴィリエ・ド・リラダンが言った言葉云々というのは、ドーファンが「エロー県」新聞の主筆宛に書いた文章の中に登場するのである。
 「今日は毎週掲載されている私の詩をお読みいただく前に、この好ましい論争に私が立ち入ることをお許し願いたい。私は〔アルノー氏が引用した〕「ラ・プリュム」の批評に対して、ヴィリエ・ド・リラダン――なにごとにおいても賢明な判断を下す――が、ある夜マラルメの家を辞去する際に、私に語った言葉を対峙させたい。「詩とは、ごく稀な、気位の高い貴婦人のようなものだ。それは人が考えるように、美しく抒情的な詩をつくる者なら誰もが寝られるというものではない。だが、ステファヌだけは別だ。彼はじつに運のよい男で、彼女の心からの恋人なのだ。彼が望めば、ただ合図をするだけ、それだけで十分なのだ。彼なら彼女を暗がりの中へ、闇の中へさえ連れて行ける。それでも幸せな彼女は身をまかせる。彼らの愛、それは星の輝きであり、光なのだ」。さらに、彼は大声で笑いながらこうつけ加えた。「あゝ、B・・・氏では駄目だよ、無論」。これ以上私には言うことはない・・・」
 この文章が書かれたのは、1898年2月6日であり、それから2週間ほど経った22日に、ドーファンはマラルメに宛てて次のように述べている。
 「半月前、「エロー県」紙に載ったレッテ某についての私の手紙をお読みいただけましたか。彼にはヴィリエの言葉をぶつけておきました。もしまだでしたら、送らせましょう。同号には「ポエジー」という私の詩一篇も掲載されています・・・」
 以上二通の手紙は、それぞれ消印によって日付が確定できる。そして冒頭に掲げたマラルメの手紙は、この22日付けの手紙への返事と考えられる。しかも22日のドーファンの手紙の書き出しには、「告解火曜日に」とあり、この年の2月22日が火曜日であることが分かる。
 内容の調子からみて、マラルメの礼状は、ただちに書かれたとみられるから、おそらく、同じ週の土曜日、すなわち1898年2月26日のものと推定できるのである。これは同年の9月9日、マラルメが喉頭痙攣の発作で急死するわずか6カ月前のことである。
 手紙の中で、マラルメが口をきわめて称賛しているのは、新聞の同じ号に発表されたドーファンの詩「ポエジー」のことであろう。ドーファンは作曲のかたわら、早い時期から詩を書いていた。マラルメは長年にわたって彼の詩の添削をしてやっていたのである。

 「ヴァルヴァンの思い出」は、雑誌「ユリイカ」1978年11月号の「海外通信」が初出であるが、愛着のある文章であり、以後3回わたり、若干の修正を加えて再録する。
by monsieurk | 2012-01-21 19:48 | マラルメ
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