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ムッシュKの日々の便り

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ヴァルヴァンの思い出 II 舟遊

 レオポルド・ドーファンは、マラルメの死後、1921年になって、新聞「エロー県」に、マラルメを追想する文章を4回にわたり寄稿した。これらはその後、『後ろを振り向けば』(Regards en arrière)と題する小冊子として出版された。
 27年におよぶマラルメとの交遊を生き生きと語る小冊子は、彼の逼迫した経済事情のために、わずか50部しか印刷されなかった。今日ではもはや手にすることが不可能な稀覯本だが、幸いそのうちの一冊がパリの国立図書館に保存されている。
 ドーファンは淡々とした筆致で、マラルメについて興味ある逸話の数々を伝えている。
 「私が1874年にマラルメを知ったのは、フォンテーヌブローに近いセーヌ川の岸辺の、ヴァルヴァンと向かい合うプラトルリにおいてであった。川の流れが私たち二人を隔てていた。彼は右岸の小さいが美しい家に泊っていた。そこへ行くには花をつけた真っ青な蔦に覆われた石の階段を上っていくのだった。私は左岸にあるルイ・フィリップの〔お抱え〕画家、ビアール爺さんの家を借りていた・・・」。
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 ドーファンが夏の別荘として借りたこの家は、持主の画家ビアールの描いた大きな絵で壁全体が覆われていて、他にも画家が長く滞在したインドから持ち帰ったさまざまの品物があり、当時この地方ではちょっとした美術館として有名だったらしい。
 この年の夏のある日、美術評論家フィリップ・ビュルティが、家の中を見せてほしいと訪ねてきた。
 「彼は、背が低く、水色の上張りを着て、麦藁のカンカン帽をかぶった一人のムッシュと一緒だった。それがステファヌ・マラルメだった」。
 川を隔てた隣人同士はすぐに親しくなった。マラルメは13歳のとき、初めて父に連れられてイョーヌ川へ行き、魚釣りやボート遊びの楽しさを教えられた。このとき以来、川遊びは詩人のほとんど唯一の趣味となった。そこには、マラルメが6歳のときに再婚したために離れて暮すことが多く、しかも脳を患って若くして死んだ父への追憶がこめられていたのかもしれない。
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 ドーファンは小さな帆掛け舟をもっており、マラルメもボートをもっていた。彼が「ボート(yole)」と呼んで気に入っていた帆のある小舟は、1876年に出版した豪華詩集『半獣神の午後』の印税のうち500フランを費やして手に入れたものだが、この頃のボートは別のものだったと思われる。
 「私たちは毎朝セーヌ川で会い、一緒に、あるときは下流の方、サモワ、エリシィ、フォンテーヌ=ル=ポール、レ・シャルトレットへ、またあるときは上流、トメリ、シャンパーニュ、モレまで行った。私たちは土手の近くに小舟をつなぐと、草原に寝ころび、パイプを燻らしながら話をするのだった。二人とも専門とする芸術を愛していた。そして、互いの芸術をよりよく理解するために、彼は詩を、私は音楽のことを語った。それが私たちの会話を豊かに彩った。」
 だが楽しかった夏の休暇もやがて終わる。マラルメはパリに帰り、リセの英語教師という仕事に戻る。時計で計ったような単調な日々が、散歩と夢想の自由な喜びを伴った時間にとって代わるのだった。
 そして一年がすぎ、また夏がめぐってくると、二人はセーヌの岸辺で再会した。
 ある日、マラルメが訪ねてきたとき、ドーファンはピアノのためのマズルカを作曲している最中だった。やがて曲が出来上がると、彼はそれを二度弾いて聴かせた。弾き終わっても、マラルメは何も言わない。ドーファンは後ろを振り向いた。するとマラルメはしばらく待つように合図し、ドーファンの仕事机に坐ると、即興でエピグラフ風の詩句を書いてみせた。このときの詩句は、『折りふしの詩句』に収録されている。

  ・・・Ainsi qu’ une fontaine à la fois gaie et noire
  Etincelle de feux, se cache sous le pin
  Coule et veut être celle où la brise ira boire,
     Un sanglot noté par Chopin.

 マラルメが時折り物したこの類の短詩は、洒落た言葉の組み合わせや思いもよらない韻律が面白く、その繊細微妙な感覚はとうてい翻訳では伝えられない。
 詩の大意は、「松林の向こうに泉が湧いている。そこだけが陽に照らされてキラキラ耀いている。暗く影になった松の枝や葉を透かして見える水面の耀きは線香花火の模様のようだ。それも明暗が逆転した花火である。泉からつづく流れの上を微風が舐めるように吹き抜けていく。その度に小波がたって、光の反射は一層強くなる。それはあのショパンのすすり泣く旋律のようだ。」
 ドーファンのマズルカを聴きつつ、マラルメの描いたイメージはおよそ以上のようなものであった。
 二人はよく連れ立ってフォンテーヌブローの森へ散歩に出かけた。その道々、ドーファンは詩作についてマラルメの意見を徴した。マラルメはドーファンが暗誦する詩に耳を傾け、あるときは誤りを正し、ときには詩句全体を添削した。それはいつも明快で、容易に理解できるものであったという。
 「ある夕暮、サモロの岩場のところで、私はマラルメにその朝できた詩句を披露した。「うん、とてもいい」。彼が言った。「だが、たとえばミュッセだったら、もう少しうまく創ったと思うね」。そう言うと、私の発想に沿いつつ、たちどころに一句を創ってみせた。それは〔ミュッセの詩集の〕『ナムラ』の中に収められるのがふさわしいようなものであった。「ユゴーだったらまったく別のものを創るだろう」と言いながら、たちどころに彼が創ってみせたのは、新しい修辞を用いたまさにユゴーの詩そのものであった。その講義を仕上げる、というよりむしろ彼がいかに魔術師のような才能をもった師匠であるかを示すために、人びとから不毛な作者と指弾され、病人、いや狂人扱いされていたあの彼が、バンヴィル、ルコント・ド・リール、さらにはベランジェやピエール・デュポンを次々に模倣してみせたのである。・・・」
 「私は秋のある夕暮を覚えている。私たちは散策に出たのだった。私には、今でも二人の姿が目に浮かんでくる。歯で短いパイプをくわえ、彼は座って舵柄をにぎり、かなりの腕前で三角帆を操り、ほとんど一直線に、なめらかに舟を進めた。私は中ほどの帆柱のところに座り、顔を撫でてゆく微風に半分ほど膨らんだ帆が振られる度に、身をかがめて帽子がもっていかれないようにするのだった。
 夕陽が周囲を茜色に染め、次いでそれは薄紫へ、黄金色へと変わっていった。雲間から、ところどころ陽の黄金の矢が走っていた。それは憂愁を帯びた九月も末の空であった。マラルメは空をじっと見つめている。おだやかな夕暮の沈黙の一刻。岸の藺草の上を蜻蛉が飛び交い、頭上には翡翠のエメラルド色をした明かりが残っている。私はマラルメの目が夢で一杯なのを見た・・・彼は何を言い出すだろう?
 ――君は僕がユゴーの詩句の中でどれが一番美しいと思っているか分かるかね?
 ――沢山あって、どれか一つといわれても!・・・

 Le soleil s’est couché ce soir dans les nuées !

 陽はその夕暮、雲間に沈んだ!

 そうつぶやくと、彼は重たげな瞼をおとした。この美しい空のすべての光を、瞼の中に閉じ込めておこうとするかのようであった。
 だが、私は彼をその夢想から引っぱり出した。
 ――私にはそんな素晴しい詩句は出来やしないが、そう言いながら、私は笑った。私も昨日二つばかり創ってみたんです。そう悪くはないと思うのですが、収穫された葡萄に呼びかけたものです・・・

  Vous ne griserez plus au soir
  L’aile si blonde de l’abeille.

  君よこの夕べには酔わせることなかれ
  蜜蜂のかくも金色なる翅を

 彼はパイプの煙を一息吹き、帆をはらませ、舵をひいた。私は彼には聞こえなかったのだと思った。それで、もう一度、詩句を詠もうとしたとき、彼が詩句を言い換えて、こう言うのを聞いた。

  Vous ne griserez aucun soir
  L’aile blonde aussi de l’abeille

  君よいかなる夕べにも酔わせることなかれ
  蜜蜂の金色にも似た翅を

 私はうっとりとするばかりだった !」
by monsieurk | 2012-01-24 22:32 | マラルメ
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