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ムッシュKの日々の便り

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ピエール=フランソワ・ラスネール

 「魅惑のモンマルトル」(2月12日ブログ)で書いたように、パリの盛り場はオスマン男爵の大改造のあとは、モンマルトルやモンパルナスの大通り(Boulevard)沿いに移ったが、それ以前はパリの中心部3区から4区を通る、俗に「犯罪大通り」と呼ばれた「タンプル大通り」(Boulevard du Temple)だった。
 『思い出しておくれ、楽しかった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』(左右社、2011)では、ジャック・プレヴェールが脚本を書いた映画『天井桟敷の人びと』(1944年)に多くのページを割いた。映画は4人の主な登場人物たちの間で展開するが、そのうちの男性3人、パントマイム役者ジャン=バティスト・ドビュロー(演じたのはジャン=ルイ・バロー)、悲劇役者のフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)、殺人者ピエール=フランソワ・ラスネール(マルセル・エラン)は、それぞれ実在した人物で、ジャン=バティストが恋する美女ガランス(アルレッティ)だけが架空の人物である。
 映画の幕開けの舞台は19世紀初めの「タンプル大通り」で、ここには大小の芝居小屋が並んでいる。
 派手な呼び込みが行われているフュナンビュル座の前に、ガランスとラスネールがやってきて、群がっている野次馬に加わる。呼び込みが行われている小さな舞台の片隅の酒樽に、静かに腰かけているピエロのバティストの目がガランスにじっと注がれる。
 ガランスの隣にでっぷり太った商人風の男が立っている。彼を挟むようにシルク・ハットをかぶったラスネールが立ち、男の金の懐中時計をねらっている。芝居がはじまり、バティストを残して役者たちは小屋に引っ込み、野次馬も散りはじめる。すると商人風の男が懐中時計がないと騒ぎ出し、隣にいたガランスの腕を捉えて、「泥棒だ」と叫ぶ。駆けつけた警官がガランスを連行しようとしたとき、ピエロのバティストが、「ぼくが・・・ぼくが証人だ!」と叫ぶ。
 警官「きみは何を見たのかね?」
 バティスト「何もかも!」
 バティストは樽から降りて、パントマイムを演じはじめる。
 ガランスと腹の突き出た中年男とラスネールの三人を一人芝居で演じながら、時計を盗んだのはガランスではなくラスネールであり、彼はもう逃げ去ってしまったことを、手振り身振りで見事に伝え、野次馬たちの拍手喝采を浴びる。
 濡れ衣の晴れたガランスは野次馬たちと一緒に去りながら、舞台の下からにっこり笑って、胸に挿した一輪のバラをバティストに投げる。バティストはハッとしながら、それを受け取る。彼も小屋掛けで彼女を見て以来、その魅力のとりこになっていたのだ。
 次の場面は「犯罪大通り」の一角、「代書人」と書かれた看板のさがる店である。白い飾りシャツを着て、口ひげと巻き毛の紳士然としたラスネールが客を前に手紙の代書をしている。だが代書業は表向きの職業で、彼は人殺しも辞さない男なのだ。
ピエール=フランソワ・ラスネール_d0238372_20142873.jpg

 ラスネールの店にガランスが入ってくる。客の入りがさっぱりで、半裸をさらす見世物小屋を首になった彼女は、ラスネールの正体を知りながら退屈しのぎにつき合っているのだ。
 大通りの人ごみを窓越しに眺めているラスネールがいう。

 ラスネール「世間の奴らは、醜すぎる!(ため息をついて) 片端からなぶり殺しにしてやりたいくらいだ」
 ガランス「相変わらず残酷なのね、ピエール=フランソワ」
 ラスネール「俺は残酷じゃない、筋を通しているだけだ。生まれてこのかた、ずっと社会に宣戦布告をしてきた俺だ・・・」
 ガランス「(笑いながら彼をさえぎり)近ごろは大勢殺したの、ピエール=フランソワ!」
 ラスネール「(落ち着きはらって、両の手のひらを開いて見ながら)とんでもない。ほら、血の痕などひとつもない。インクの痕が少々あるだけだ。しかし、どえらい計画があるにはある・・・」

 やがて物語の舞台回し役である、古着を商う「ラッパのジェリコ」や、バティストを慕うフュナンビュル座の座長の娘ナタリー、盲人の乞食「絹糸」(じつは目が見える)などが登場して、「犯罪大通り」で繰り広げられる人間模様が次第に織り上げられていく。

 プレヴェールの評伝を書きあげたあとで、ラスネールの『回想録』(Pierre-François Lacenaire: 《Mémoires》(José Corti,1992)を手に入れた。プレヴェールが映画のモデルにしたピエール=フランソワ・ラスネールは、1800年12月にリヨンで生まれ、少年のころから窃盗などの犯罪を重ね、父親に「お前の行く末はギロチン台だ」といわれた人物だった。
 彼は少年の時からよく本を読み、文才にも恵まれていた。早くから詩人になることを望んだが、夢は実現せず、生活のために酒の販売人になった。その後は軍隊に2度入ったが、2度とも脱走し、やがては犯罪に手を染めるようになる。
 字がきれいなことから代書屋を表看板にしつつ刑務所入りを繰り返し、最後は金を奪うために老婦人とその息子を殺害して逮捕され、共犯の2人とともにパリ重罪裁判所で裁かれることになった。『回想録』はこの殺人事件の裁判の間に、獄中で執筆されたものである。このときラスネールは32歳で、パリ重罪裁判所での裁判は1835年11月12日にはじまった。
 共犯の2人は犯行を否認、だがラスネールは最初から罪を全面的に認めて、事件の詳細をまるで役者が劇場で演じるように滔々と語った。こうした彼の態度が評判を呼び、法廷は連日大勢の傍聴人でいっぱいになった。さらに彼が収監されているコンシエルジュリ監獄に帰れば、そこには新聞記者や作家、はてはサロンを開く女性たちが会いにやってきた。新聞や雑誌は、ラスネールが獄中でものした詩やシャンソンを競って掲載し、彼は一躍時の人となり、幼い時からの夢だった、自分の書いたものが世間の注目を浴びることになったのである。
 裁判は3日後の11月15日午前2時に結審した。当然ながら、陪審員が出した評決は有罪だった。ラスネールは上告した。死刑は甘受するつもりだったが、まだやるべきことがあった。それは『回想録』を完成することである。刑は覆ることはないが、上告すれば半月ほど命をながらえることができる。ラスネールはその時間を、『回想録』の執筆と詩作に費やそうとしたのだった。『回想録』の最後は、こう結ばれている。

 「1836年1月8日、コンシエルジュリにて、夜10時。
 ビセートル〔監獄〕への移送のために迎えがやってきた。おそらく明日、私の首が落ちるだろう。残念ながらこの『回想録』を中断せざるをえない。原稿は出版社に委ねることにする。不十分なところは裁判記録が補ってくれるだろう。――私を愛してくれた人たち、そして私を呪う人たちに、さよならを言おう。私を呪うのも理由があることだ。そしてページごとに血の滴る『回想録』を読む貴方、私の血で赤くなった鉄の三角形〔ギロチンの刃〕を、死刑執行人がぬぐったあとにしかこの『回想録』を読むことができない貴方、ほんの少しでもいいから、貴方の思い出の中に、私のための場所を確保して欲しい。・・・さらば」

 翌9日早朝、ラスネールは共犯の一人とともに、パリの南の外れのサン・ジャック門の近くの処刑場で、父がかつて予言したとおりギロチンで首を落とされた。早朝にもかかわらず、500ほどの見物人が詰めかけていた。
 『回想録』はラスネールの死の4カ月後に出版されたが、検閲の結果、ラスネールを英雄視するような箇所は当局の手で徹底的に改竄された。
 プレヴェールは『天井桟敷』では、ラスネールの姿を借りて、「犯罪大通り」に渦巻く悪を含めた人間模様を織り上げた。ただし、映画のラスネールが、女主人公ガランスのパトロンとなった伯爵を殺害し、敢然と逮捕を待つ場面は創作で、実在したラスネールの最後は上記のとおりである。
by monsieurk | 2012-02-20 20:17 | 映画
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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