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ムッシュKの日々の便り

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炉心溶融 III SPEEDI

 信じられない事実が飛び出したのは、今年2012年1月16日の国会の事故調査委員会での渡辺格文部科学技術・学術局次長の証言だった。渡辺は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)の予測データが、福島原発事故から4日目の、去年3月14日から、「緊急事態に対応してもらう機関に、情報提供する一環として、外務省を通して在日アメリカ軍に提供されていた」と語ったのである。朝日新聞はこれをきっかけに取材して、当時の経緯を連載中の『プロメテウスの罠』で明らかにした。
 「震災から4日目、2011年3月14日朝のことだった。
 外務省北米局日米安全保障条約課の外務事務官、木戸大介ロベルト(33)のところに横田基地の在日米軍司令部から電話が入った。
「原発事故の支援に際して放射能関連の情報が必要だ。政府が情報を有しているなら提供してほしい」
 当時、外務省は昼夜12時間交代で動いていた。木戸は朝9時に登庁し、仕事を始めたばかりだった。上司の許可を得て、経済産業省など思い当たる省庁に電話した。電話はあちこち回された末、文部科学省の防災環境対策室に行き着いた。
 室長補佐の澄川雄(33)は「防災関係者で活用する分には提供して構わない」と答えた。
 木戸は担当者に「データを直接米軍に提供してほしい」と伝えたが、「震災後のどたばたで手が足りません」。木戸は「それなら私のほうでリレーしましょう」と答えた。
 午前10時40分、木戸のパソコンに原子力安全技術センターからメールが届く。文科省の委託を受け、放射性物質の拡散を予測する機関だ。木戸は添付されたファイル名に「SPEEDI」の文字を見つけた。
 SPEEDI(スピーディ)? 木戸には初めて聞く名称だった。
「名前も知らないし、なんのことか理解できませんでした」
 木戸はメールを在日米軍司令部に転送した。
 そのころ福島県では住民の避難が続いていた。気がかりは放射性物質の流れ方であり、それを予測するのが実はSPEEDIだった。
 SPEEDIはほぼ正確に予測を出していた。しかしその予測は、避難の資料としてまったく使われなかった。・・・どこが危険かもわからぬまま、多くの住民が遠くを目指した。」(『プロメテウスの罠』、188-189頁)
 木戸のパソコンに1時間ごとに届いたのは地図の画像データだった。これは3月14日から7月まで、木戸のパソコンを経由して在日米軍に送られた。
炉心溶融 III SPEEDI_d0238372_734090.jpg

 放射能被爆の危機にさらされた住民の避難に欠かせないこの貴重なデータが、なぜ活用されなかったのか。マスメディアはこの点を厳しく追及したが、対応の責任者だった菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相など政府要人は、SPEEDIの存在自体を知らなかったといい、知る立場にあった官僚の責任者たちは誰一人として、避難案づくりの切り札とされる文部科学省所管のSPEEDIの情報を政府要人に伝えなかった。そしてこれを追及するマスメディアの側も、SPEEDIのデータが在日米軍に流されていた事実を国会証言まで掴めなかったように、原発事故直後は、SPEEDIが避難の判断材料に利用されていない事態を把握できていなかった。
 「独立検証委員会」の『調査・検証報告書』は、海江田経済産業大臣(当時)とのインタビュー(2011.10.1)を引用して、「福島原発事故対応の陣頭指揮をとった官邸トップ(菅首相、枝野官房長官、海江田経産相、福山官房副長官、細野首相補佐官=いずれも当時)は、SPEEDIがフル稼働していることはおろか、しばらくの間、その存在すら知らなかったと証言している。その応接室には、寺坂原子力安全・保安院長、斑目原子力安全委員長、武黒フェロー(東京電力)なども同席していたが、海江田経産相は、「このいわば原子力対策の最高指揮部隊の間では、残念ながらSPEEDIは一切話題に上がりませんでした。・・・知っていれば当然のことながらあのSPEEDIのデータはどうした、早く持ってこいということを聞くわけですが、存在を知りませんでしたからそういうことを言えませんでした」(同書、174頁)と述べている。3月11日以降になされたSPEEDIの予測結果が官邸トップに上げられることはなく、住民避難に関する決定の参考にされることはなかった。
 3月15日、文部科学省では、マスメディアからSPEEDIの計算結果の公表を求められたことを受けて、政務三役会議が開かれた。席上、SPEEDIと世界版SPEEDI(WSPEEDI)の計算結果が示され、情報を公開するかどうかが議論されたが、結論は出されなかった。そして翌3月16日には、文科省の鈴木副大臣が福山副官房長官たちと打ち合わせを行い、文部科学省がモニタリングのとりまとめを行い、原子力安全委員会がモニタリングの評価を行うという役割分担が決定され。だが原子力員会の斑目委員長は、こうした役割分担については文科省との間で連絡も意見交換も行ったことはないとしている。16日の決定が、SPEEDIの公表の主体を一層あいまいにしたことは事実だった。
 『プロメテウスの罠』には、もう一つ重大な事実が報告されている。
文部科学省茨城原子力安全管理事務所から応援に入った渡辺眞樹男は、3月15日の午後、原発から5キロの現地対策本部から福島県庁に撤退した。15日朝には2号機が破損し、大量の放射性物質が放出された。福島県庁は原発から60キロ離れていた。
 渡辺は撤退したばかりの15日の夜、対策本部から浪江町の山間部の3カ所の放射能の測定を行うように指示された。午後9ごろ現地に着いて測定してみると、3カ所とも数値が高い。とくに赤宇木(あこうぎ)地区では毎時330マイクロシーベルトを記録した。
 すぐに報告しようとしたが、携帯はつながらず、雨のために衛星携帯も使えなかった。急いで川俣町の宿舎まで戻り、公衆電話で報告した。戻る途中、明かりがともる家も多く、人びとがまだ沢山残っていた。
 翌16日、文科省は渡辺が測定した数値を発表したが、地区名は伏せられ、浪江町に伝えられることもなかった。対策本部が渡辺に放射線量の高い地区をピンポイントで指示したのはSPEEDIの予測結果を見たからで、文科省は汚染の概要をつかんでいた。しかしこれが住民避難の参考にされることはなかったのである。
 的確な情報が出されないまま、私たちの不安は高まった。その一方でドイツの気象庁などが放射性物質の拡散予測を公開し、それがインターネットを通して知らされると、政府が公表しないのは情報を意図的に隠しているのではないかとの憶測が高まった。適切なリスク・コミュニケーションを欠いた結果だった。
by monsieurk | 2012-03-20 06:00 | 原発事故検証
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