明晰ならざるもの・・・
フランスの人たちはこの日、知人や日頃お世話になっている人に、鈴蘭(muguet)の花束を贈る習慣がある。パリ郊外の森でも、少し奥に入れば白い可憐な花をつけた鈴蘭の群生を見つけることができ、暇のある人は4月末の週末に、ブーローニュやフォンテヌブローの森へ出かけて、ミュゲを摘んで花束をつくる。街の花屋の店先はむろんのこと、地下鉄の構内にも花屋が店開きして鈴蘭を売る。子どもたちは前日登校する際に、先生たちにプレゼントする鈴蘭を忘れずに持っていく。
5月はまたファッシン・ショーの季節でもある。ファッション・ショーといえば、一部の人たちに人気のあるフランス人形が、かつてはファッションの普及に役立っていたのをご存じだろうか。
ルイ14世と宰相リシュリューの治下、ヨーロッパの大国にのし上がったフランスは、文化の面でもヨーロッパに君臨するようになる。こうした勢いはその後もつづき、ファッションの面でも、フランス宮廷の流行をいち早く採りいれることが、遠くロシアを含めた貴族社会の願望となった。だが、当時はいまのように簡単に旅ができる時代ではない。そこで最新流行の服装をさせた人形が、パリを出発する馬車に乗せられて四方八方に送られたのである。
18世紀、啓蒙主義の時代になると、華やかなファッションだけでなく、フランス語がヨーロッパの上流社会を席巻することになった。なかでもプロシャのフリードリッヒ二世は大のフランス贔屓で、「ドイツ語は野蛮な方言だ」とまで言い出す始末だった。
こうした国王の意をうけて、ベルリンのアカデミーが、懸賞論文を募集した。論文のテーマは、(1)フランス語を全ヨーロッパの普遍的な言語としたものは何か、(2)フランス語は何ゆえにそのような特権に値するか、(3)フランス語はその地位を維持できると思われるか、というもので、締切は1784年1月1日。設問自体がもちろんフランス語で書かれていた。
ヨーロッパ中から大勢の応募があり、最後に残ったのは二人。一人はシュトゥットガルト大学の哲学教授シュワーブで、論文はドイツ語で書かれていた。もう一人は無名のフランス人リヴァロール(Antoine Rivarol)で、最終的には二人の論文がそろって当選ということになった。
リヴァロールの論文、「フランス語の普遍性について(De L’universatité de la langue française)は、フランスが優れている理由を、「文の構成法・syntaxe」にあるとして、主語-動詞-目的語という語順が、人間理性の秩序を忠実に示すからだとした。そして、「われわれの言語(フランス語)の賞賛すべき明晰さ、その永遠性の基礎はそこにある」と述べた後に、有名な文句を綴ったのである。いわく--
Ce qui n’est pas clair n’est pas français; ce qui n’est pas clair est encore anglais, italien, grec ou latin.
(明晰ならざるものフランス語ならず、明晰でないのはいまだ、英語、イタリア語、ギリシャ語あるいはラテン語である。)
リヴァロールの名前はすっかり忘れられてしまったが、この名句はいまもってフランス人だけでなく、フランス好きの心をくすぐりつづけている。リヴァロールが、「明晰ならざる言葉」としてギリシャ語やラテン語を挙げたのは、フランス文化が古典語の軛〔くびき〕を脱した勝鬨ともとれ、ドイツ語をその中に入れなかったのは、主催者のベルリン・アカデミーに対する配慮だったかもしれない。
しかしそれから2世紀が経ったいま、リヴァロールが世界一理性的な言葉と自賛したフランス語は、「野蛮な」英語の前に劣性である。EUの記者会見はフランス語と英語で行うのが原則だが、EU事務局の実際の仕事では、いまや国際語となった英語が圧倒的である。おひざ元のフランスでも小学校の2年生から英語の授業が行われている。