画家ヴュイヤール V 「ゴーギャンの教え」
ゴーギャンは印象派のあまりに直截的な自然再現を批判した。彼によれば、絵画は「自然の再現ではなく、芸術家の心情を映す鏡」でなくてはならなかった。
1888年のパリ万国博覧会に際して、カフェ・ポルピーニで催された「印象主義および総合主義画家のグループ展」で、初めてゴーギャンの作品に触れたヴュイヤールやその仲間たちは、「支配的な要素から抽出された形と色の総合」とゴーギャン自身が呼ぶ、大胆な画面構成に圧倒された。こうした自然の恣意的なとらえ方と、画面にただよう詩情こそ、彼らが追い求めていたものにちがいなかった。
仲間の一人、ポール・セリュジェはさっそく北フランス、ブルターニュの港町ポン・タヴェンに住むゴーギャンのもとを訪れ、そこに滞在して教えをうけた。こうしてゴーギャンの考えは、セリュジェを通してナビ派の仲間たちに伝えられることになったのである。モーリス・ドニは、『ポール・ゴーギャンの影響』のなかで、セリュジェのはたした役割について、こう語っている。
「セリュジェがポン・タヴェンから帰り、彼によってゴーギャンの名前が私たちに示されたのは、1888年末のことであった。彼はいかにも神秘的なものといわんばかりに、タバコの包み紙を見せた。そこには紫、赤、緑、その他ほとんど白の混じっていない、まるでチューブからしぼり出したばかりのような純粋な色彩によって描かれた風景画とおぼしきものが描かれていた。これを見せながら、セリュジェはゴーギャンをめぐる一つのエピソードを語って聞かせた。
「君、あの木はどう見えるかね」とゴーギャンは言った。「緑だね? それなら緑色を塗りたまえ、君のパレットで一番冴えた緑色を。あの影はどうだ、青っぽいだろう? それならできるだけ青くしてしまってはどうだ。そしてあの赤い葉には朱色を。」
こうして私たちは美術のなすべきこととは、目に見えている事実を転換することであり、いわば強調された表現、一体化された視覚印象の感動的な等価物であると理解するようになった・・・。この方法は、単純な模写を行うときに画家としての私たちの本能に何かひっかかっていた障害物をきれいに払拭してくれた・・・もしも赤味がかった褐色の木を鮮やかなスカーレット(紅色)で描くことが許されるならば、詩人が暗喩によって実在化させているようなさまざまな印象を、画家たちは、背景の曲線を変形させ、真珠のようなカーネーションの白を誇張し、木の枝ぶりを一層シンメトリックにこわばらせるなどをしながら、形の上で強調していけないことはない。こうした手順を知ると・・・純粋色が輝くように並置され、もはや自然との偶然の一致ではあり得ない例の小さな絵は、まさしく一つの天啓――預言者(ナビ)のダマスカスへの道――であった。いみじくも彼らの一人が言ったのだが、それは「奔流が押し寄せたごとく」に画家たちの感覚を扇動したのである。」
こうしてゴーギャンから得た単純化と象徴化の方法、そしてそこから詩的な連想を誘う方法から、数々の作品が生み出されることになった。ポール・セリュジェが、ポン・タヴェンで、ゴーギャンの直接指導のもとに制作した《愛の森風景、護符(Le Bois d’amour, talisman)》はその最初の成果であった。この記念碑的作品はいまオルセー美術館で展示されている。
初期のヴュイヤールも、ゴーギャンから強く影響された一人だった。そうした影響の下で、《リュニエ=ポーの肖像》(1891年)、《三等客》(同)、《寝台の中》(同)、《ライラック》(1892年)、そして有名な《自画像》(同、ヴューヤールⅠで紹介した黄色い髪のもの)が制作された。
高等中学校時代の級友で、パリの芝居小屋「作品座」の俳優兼舞台監督であったリュニエ=ポーの肖像は、褐色を含んだ灰色を基調に、机の角で何かものを書いている姿が明確な輪郭をもって描かれている。奥行きが感じられない平面的な構図、装飾的ともいえる形態の大胆な省略。ヴュイヤールはこの作品では仕事には熱中する友人を描写するというより、彩色された目を組み合わせて、機知に富む一人の若者の活力を象徴する画面をつくりだすことに成功している。
三等客車の木製のベンチに座った夫婦と子どもを、白とこげ茶、黄土色の三色で描きだした《三等客》。まるで切り紙細工のようなデフォルメをほどこした《ライラック》。こうした作品は、絵画とは事物を見えるがままに再現するのではなく、画家の意志で随意に選ばれ、彩色された平面を組み合わせることで、一つの心理状態を、観る者のうちにつくりだすもの、「絵画とは何よりもまず、一定の秩序のもとに集められた色彩でおおわれた平坦な表面である」(モーリス・ドニ)とするナビ派の理論のみごとな結実であった。
しかしヴュイヤールの気質は、どうやらこうした原理とは別のものであったようである。彼がゴーギャン流の描き方に固執していた時期はそれほど長くは続かなかった。ヴュイヤールは、間もなく身近にあるこまごました事物、日常を彩る親密な(アンティーム)ものに強く惹かれるようになる。初期に学んだ、省略と少ない色彩の調和から独特の雰囲気をかもし出す技法を用いつつ、家庭内の静謐で平和な情景から、不滅の美を抽出しよとするようになった。 1892年に描かれたと推定される《部屋を掃く婦人》は、そうした傾向の最初のあらわれである。いましも部屋着姿の女性が箒を手に、床を掃いている。画面左手では部屋の空気を入れ替えるべく、扉は半開きになっており、中央には艶のある木のタンスが置かれている。タンスの上に置かれた赤い木鉢。左下には黒と薄茶の模様のテーブルクロスにおおわれた丸テーブルの表面が見える。このテーブルクロスと壁紙、それに女性の部屋着の模様が微妙な調和をつくりだす。だが、観る者の心をうつのは、なによりも床を見つめる女性のやさしい眼差しである。
絵は現実の情景から出発しながら、現実を浄化し、理想化して、詩の世界へと変貌している。日常の家庭生活のなかで、いつでも見かける静かで平穏な一情景。しかし、凡庸な輪たちたちは一瞬心にとどめても、すぐに忘れてしまうこうした情景を、画家は不滅のものに変える術を知っているのだ。