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ゴッホと浮世絵 I 「草の芽生え」

 エドゥアール・ヴュイヤールを論じたブログ(「画家ヴュイヤールXIII」、2012.6.18掲載)で、19世紀末のフランスで巻き起こったジャポニスムの流行に触れたが、1886年3月から88年2月までパリにいたフィンセント・ファン・ゴッホも、浮世絵に魅せられた一人だった。
 ゴッホはコルモンの画塾でオーストラリア人の画家ジョン・ラッセルと知り合った。ラッセルは少年のとき極東を旅して日本の美術品を蒐集していて、それを見せてもらう機会があった。ただゴッホが浮世絵の新奇な魅力の虜となるのは、翌1887年の夏からで、極東の美術品を専門に扱っていたモンマルトルのビング商会が、コレクションを展示する日本美術展を開いた時期と一致している。モンマルトルには弟テオが勤めるグーピル商会の支店があり、ビングの店の版画の委託販売もやっていた。
 ジーグフリート・ビングは中国や日本の骨董から芸術品までを扱う商人で、このころは極東の美術をテーマとする展覧会や、専門誌「芸術の日本」という贅沢な美術雑誌の刊行を準備中だった。雑誌は毎号10点以上の浮世絵の傑作を紹介し、エドモン・ド・ゴンクールなど専門家が文章を寄稿することになっていた。
 ビングの店は増築され、パリ9区のモンパルナス大通りとプロヴァンス通りの角に新しい画廊を開き、フィンセントは弟のつながりを利用して、ビングの店の屋根裏の倉庫に入る特権を手にいれた。そして一流品から普及品まで、多くの浮世絵を眺めて暮らした。なかでも北斎や広重、豊国に感心した。
 ゴッホの膨大な手紙はすべて原文のオランダ語、フランス語、英語のまま、2巻本の『フィンセント・ファン・ゴッホ全書簡集(Verzamelde brieven van Vincent van Gogh)』(Wereldbibliotheek、Amsterdam、1974)に収められている。
 そのなかの書簡542、弟テオに宛てた手紙の最後で、日本の画家たちのデッサンや浮世絵をこう評価している。

 「日本の芸術を研究すれば、間違いなく賢く、哲学的で、知的な人間を見出すだろう。彼は何に時間を費やしているのか? 地球と月との距離か? いや。ビスマルクの政策か? いや。ただ一茎の草の芽生えを研究しているのだ。
 しかしこの草の芽生えたるや、彼にあらゆる植物を描くことを教え、次いで季節を、田園の広々とした景色を、動物を、そして人間の顔を描く術を教えるのだ。こうして彼はその人生を過ごす。人生はすべてを行うには短すぎる。
 どうだい、これは本当の宗教ではなかろうか。それこそ彼ら素朴な日本人が私たちに教えるものであり、彼らはまるで花のように自然のなかで生きているのだ。
 そして私たちがもっと日本の芸術を研究できるようになれば、皆がもっと陽気に、もっと幸福にならないはずはないと私は思う。私たちは因習のなかで教育を受け、仕事をしているが、もっと自然に還らなくてはいけない。(中略)私は日本人がすべてにおいて持っている極度の明確さをうらやましく思う。それは決して退屈なものでも、簡単にさっと済ませたものでもない。彼らの仕事はちょうど呼吸をするようなもので、チョッキのボタンをはめるように、楽々と、二、三本の線で人物を描いてしまう。ああ、私もわずかな線で人物を描けるようにならなくてならない。」

d0238372_1412071.jpg パリ滞在中にゴッホは200点をこえる絵を描いたが、そこには独特の自画像、パリ市内や近郊の風景、花、向日葵などと並んで、数点の浮世絵の模写がある。年代的にもっとも早いのは、1887年秋に制作された《タンギー親爺の肖像》(ロダン美術館蔵)で、帽子をかぶり端座するタンギーを正面から描き、その背景に「雪の中を行く傘をさした二人の旅人」、「富士」、「川辺の桜」、「花魁の顔」、「花魁の立ち姿」、「朝顔」の6点の浮世絵を模写している。タンギー親爺はモンマルトルに絵具の店を開いていて、貧しい画家には絵具と画布を前貸ししてくれた。画家たちは作品が出来上がるとタンギーの店の飾り窓に置いておくのだが、滅多に売れることはなかったから、タンギーはいつも損をした。セザンヌやゴッホは店の常連だった。
 ゴッホはこのほかにも、広重の《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》から《花咲く梅の木》を、同じく広重《名所江戸百景 大橋あたりの夕立》からは《雨中の橋》を模写した。いずれも1897年9月から10月にかけてと推定される。
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 さらにもう1点の《花魁》も同じ時期のものだが、これは「パリ・イリュストレ」誌の日本特集号(1886年5月1日号)の表紙に載った渓斎英泉の《雲龍打掛の花魁》を油絵で写し取ったものである。ただゴッホが英泉のオリジナルを見ていないのは、絵の花魁の顔が版画とは逆に左を向いていることから明らかである。「パリ・イリュストレ」は左からページを開く欧米の形式に合わせて、印刷の際に左右を反転させていたのである。ゴッホはこうした浮世絵の模写を通して、日本の風景や人物に思いを馳せたのだった。
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by monsieurk | 2012-06-24 14:09 | 美術
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