熱狂ぶり
トゥール・ド・フランスは1903年にはじまり、スポーツ競技としてはオリンピックに次いで長い伝統があります。今年はベルギーのリエージュを6月30日に出発して7月22日にパリのシャンゼリゼ大通りへゴールするまで、途中休みの日を入れながら、21日間フランス各地の街と街を結ぶコースを走り続けます。全行程は3479キロ、トータルで一番早かった選手は、マイヨ・ジョーヌ(黄色いシャツ)を着る栄誉に浴します。一等賞金は45万ユーロで、そのほかにも毎回の走行で、さまざまな賞金が用意されています。
7月15日、革命記念日翌日の日曜日は、リムー(Rimoux)をスタートして、私たちが滞在しているピレネー山中の村マサット(Massat)を通り、二つの峠をこえてフォワ(Foix)をゴールとする山間部の難コースです。今年のトゥール・ド・フランスには沖縄出身のユキヤ・アラシロ(新城幸也)選手がユーロップカー・チームの一員として走っています。彼を応援するためにも出かけたのですが、これがなかなか大変でした。
マサットは谷底にあるため、坂道を走り下りてくる自転車は一瞬で通り過ぎてしまいます。そこでコース最大の難所である標高1375メートルの「ペゲールの壁」といわれる地点まで出かけて行きました。
この地点の通過は午後4時半ころと予想されますが、家を車で出発したのが午前9時半です。途中道の両側はキャンピング・カーで埋め尽くされています。多くがトゥール・ド・フランスの「追いかけファン」とのことです。私たちが車をとめることができたのは、目指す峠の2キロ手前。そこに駐車して、あとはピクニック用の敷物と食糧をもって歩きました。途中にはキャフェ、パエリャの店、太った豚を串刺しにして丸焼きをつくっている店など、大きなテント張りの店がいくつも出来ています。幸い、峠にさしかかる手前のカーブのところに場所を見つけることができました。ここは傾斜度13度以上という急坂で選手たちもゆっくりと登ってくるはずです。
通過までにはまだ6時間はあり、それを予想して本を持参したのですが、周囲は人人人で埋まり、本を読むどころではありません。地元フランスはもとより、イギリス、オランダ、イタリア、南アフリカ、オーストラリア・・・の旗を持って、出身国の選手を応援する人たちはすでに大盛り上がりです。私たちも道路脇に敷物を敷いて、ピクニックを楽しむことにしました。
選手到着の1時間ほど前から「キャラバン」と呼ぶ、さまざまな企業の宣伝カーが、帽子、Tシャツ、お菓子、キーホルダーなどなどをばら撒いて通り過ぎます。これを受け取るのも楽しみの一つです。その後ラジオ局からインタビューされ、「日本からトゥール・ド・フランスを観にやってきたのだ」とリップ・サービスをしますと、アナウンサーは満足げでした。
やがて頭上のヘリコプターの音が聞こえてきました。空からテレビの中継をするためです。急坂を登って最初に姿を見せたのはサンディー・カザル(フランス)で、地元選手の登場に沿道は大興奮です。次いでイザギール(スペイン)、少し遅れて3位のサガン(スロヴァキア)。そのあとしばらく間があって、20人ほどの一団が懸命に坂を上って姿を現しました。そのなかにユーロップカーの緑のユニホームを着た新城幸也選手も入っています。孫娘たちが日本語で、「ガンバレー」と声をかけると、気づいた彼はにっこりウインクをしてくれたそうです。
待つこと6時間、最後の選手が通過したのが先頭から15分ほどあと。かくして一日の見物が終わりました。選手たちの頑張りは感動的で、追いかけファンの気持がよく分かりました。ちなみに、豚の丸焼きは3匹がすべて食べ尽くされたとのこと、またテントのカフェは翌日午前2時まで店開きをしていたとのことです。