ムッシュKの日々の便り

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フランス語版『資本論』

 古書店の老舗「雄松堂」が開店80周年を記念して、稀覯本の展示即売会をさる11月26日、27日の二日間開催した。そこにグーテンベルクとフスト印行の『42行聖書』(1455年頃、マインツ刊)の三つの章が出品されて人目をひいた。このほかにも15世紀のフランスで刊行されたラテン語の『彩飾写本時祷書』や、コーベルガー印行『ラテン語聖書』(ニュルンベルグ刊、1477年7月30日)など、滅多に見ることが出来ない書物が並んでいた。
 そんななかでとくに興味をひかれたのが、カール・マルクスの『資本論』(Das Kapital)の16冊のコレクションである。これにはドイツ語版の第一部初版から第四版までの揃いと、第二部、第三部の初版本、最初の翻訳版であるロシア語版、マルクスが自ら積極的に翻訳にたずさわったフランス語版、さらにアメリカ版、中国語版、日本語版、セルビア=クロアチア語版が含まれていた。
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 マルクスの『資本論』の第1部がドイツ語で出版されたのは1867年である。マルクスは序言で、この著作の目的は資本主義社会の経済的構造の分析であると述べているのは周知のことである。マルクスは『資本論』を全四部三巻本で出す予定だったが、生前に出版されたのは第一部第一巻だけで、第二部(1885年)、第三部(1894年)は、マルクスの遺稿をもとにエンゲルスが編集して刊行されたものである。
 時間的経緯からすると、マルクスは第1部のドイツ語版を出版した後すぐに改訂作業をはじめ、並行して1872年にはロシア語版を刊行し、1872年から1875年にかけてはフランス語版の翻訳にとりかかった。つまり『資本論』の第一部に関しては、ドイツ語版第一版以上に、フランス語版がマルクスの意図をよりよく反映しているといえるのである。なおフランス語版の翻訳になぜ3年の歳月を要したかといえば、フランス語版は最初、この本を読んでもらいたい労働者階級の経済的負担を考えて、分冊の形で出版されたからである。
 フランス語版の版元であるモーリス・ラシャトルに宛てて、マルクスが1872年3月18日付で書いた手紙が残っていて、羽ペンで書かれた手紙の複写はフランス語版の冒頭に掲載されている。
 「市民モーリス・ラシャトルへ
 
 親愛なる市民、
 『資本論』の翻訳を定期的な分冊で刊行するというあなたの考えに、拍手を送ります。この形であれば、この著作は労働者階級にもより近づきやすいでしょうし、私にはこの点の配慮がほかのなによりも重要です。
 このことは、あなたのメダルの良い側面ですが、その反面もあります。すなわち、私の用いた分析方法は、まだ経済学上の問題に適用されたことのなかったもので、最初の諸章を読むのをかなり困難にしています。そこで心配なのは、フランスの読者が結論を待ちかねて、一般原理と自分を熱中させる直接的な問題との関連を知ろうと熱望するあまり、冒頭から先へ進むことができないために尻込みするのではないか、ということです。
 これは不利な点ですが、これには真理を切望する読者にまず予告をして、心の準備をさせるほかには、私には何ともしようがありません。学問には平坦な王道はありません。学問の急峻な細道をよじのぼるのに疲れ果てるのをいとわない人たちだけが、輝かしい絶頂に到達する幸運をもつのです。
                                      敬具
                                             カール・マルクス」
 これにたいして、出版元のラシャトルは、次のような返事を書いた。なおラシャトルは歴史家で、教権主義や君主制に反対し、彼の出版物はしばしば弾圧をうけ、1871年のパリ・コミューンの敗北後は一時スペインに逃れていた反骨漢であった。
「カール・マルクス殿
 貴著『資本論』はドイツでは、労働者階級のあいだで大いなる共鳴を呼び起こしましたので、当然のことですが、フランスの出版社は、このみごとな著作を自国で翻訳することを思いつきました。
 この重要な著作の再生という点では、なるほどロシアがフランスに先んじました。だが、わが国は、ドイツ語第二版のドイツでの出版にさえ先んじて、ドイツ語第二版の草稿にもとづいて行われた著者によって校閲された翻訳を、手にするという幸運に、恵まれることになるでしょう。(中略)
 一〇サンチームの分冊によるという私たちが採用した刊行方式には、次のような利点があるでしょう。すなわち、貧しい人々はわずかな金額しか学問に支払えないので、私たちの仲間であなたの著書を手に入れる者がますます増える可能性がある、ということです。あなたの著作が誰の手にも入りやすくなるというあなたの目的が、達成されることでしょう。
 最初の諸章で扱われる経済学上のテーマが無味乾燥であることに直面して、読者が立ちどまるのではないかと、あなたが示された懸念については、それが根拠のあるものかどうかは、未来が私たちに知らせてくれることでしょう。(後略)
                    
                                          モーリス・ラシャトル」
 ラシャトル版の『資本論』の全44冊(一分冊は大判一印刷紙、つまり8頁建)は、第一シリーズが1872年9月、最後の第九シリーズが1875年11月に出版され、その後直ちに一冊にまとめられて刊行された。マルクスもラシャトルも、挫折したとはいえ、一度はパリ・コミューンを成立させたフランスこそ、ヨーロッパでプロレタリア革命をおこ可能性がもっとも高いと考えてた。そのためにもフランス版の出版は急務だった。
d0238372_1744311.jpg マルクスはこのフランス語版をつくるにあたり、ドイツ語第一版に修正を加えたものをジュゼフ・ロアにフランス語に翻訳させたのだが、ロアの訳文がドイツ語原文の逐語訳だったために、彼自身が全面にわたって改稿せざるをえなかった。ロアはボルドーに住む教師で、フォイエルバッハの『宗教・死・不朽』をフランス語訳し、その翻訳をフォイエルバッハ自身が褒めていると聞いた人たちがマルクスに推薦したのである。
 だがマルクスは、ラシャトル版の「読者へ」で、「この書き変え〔あまりにも直訳すぎるロア訳の改訂〕は、毎日のようになされた・・・ひとたびこの改訂の仕事に着手してからは、私は、底本にした原本にも改訂を加えることになってしまった」と述べている。
 マルクスはフランス語に堪能で、『哲学の貧困』など多くの著作をフランス語で書いている。そんな彼にとってこの修正は、「翻訳全体を自分でやるほうがはるかに楽だ」と思うほど時間と根気のいる仕事だった。このように心血を注いでなった『フランス語版資本論』は、用語も洗練され、論理の筋もよく通り、それだけ読みやすくなった。
 第一章の「商品」の冒頭を引用してみる。

 La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de départ de nos recherches.
La merchandise est d’abord un objet extérieur, une chose qui par ses propriétiés satisfait des besoins humains de n’importe quelle espèce. Que ces besoins aient pour origine l’estomac ou la fantaisie, leur nature ne change rien à l’affaire. Il ne s’agit pas non plus ici de savoir comment ces besoins sont satisfaits, soit immédiatement, si l’objet est un moyen de subsistence, soit par une voie détournée, si c’est un moyen de production.
Chaque chose utile, comme le fer, le papier,etc., peut être considérée sous un double point de vue, celui de la qualité et celui de la quantité. Chacune est un ensemble de propriétés diverses et peut par conséquent être utile par différents côtés. Découvrir ces côtés divers et en même temps les divers usages des choses est une œuvre de l’histoire. Telle est la découverte de mesures sociales pour la quantité des choses utiles.・・・(Karl Marx: Le Capital, Paris Ēditeurs, Maurice Lachatre, et Cie 38, Boulevard de Sébastopol,p.13)

 (資本主義的な生産様式が支配している社会の富は、《膨大な商品の集積》として示されている。だからこの富の基本的形態である商品の分析が、われわれの研究の出発点である。
 商品はなにより外的な物体であり、その属性によって人間のいかなる種類の必要をもみたすものである。その必要が胃袋からのものであろうと幻想から生じたものであろうと、それに変わりはない。その必要がいかにして満足させられるかを、――その物が生活の手段であればただちに、生産手段であれば回り道をして――知ることは、ここでは問題ではない。
 鉄、紙などのような有用な物はどれも、質と量の二重の観点から考察することができる。それぞれはさまざまな属性の総体であり、したがって、さまざまな面で役に立っている。物のこうしたさまざまな面と、同時に物のさまざまな用途を発見することは歴史の仕事である。それはまた有用な物の量を測るための社会的尺度の発見である。・・・)

 注目すべきなのは、「商品は・・・人間のいかなる種類の必要をもみたすもの」という個所で、ドイツ語原文はBedürfnisse「欠乏」という言葉が用いられている。これまでの日本語訳では「いかなる種類の欲望をも」となっており、「欲望」という訳語が当てられてきた。しかしこの意味は人間が生活していく上での「欠乏」、そこから生まれる「必要」であって、人間が抱く単なる「欲望」ではない。こうした点を明確にしてくれる点でフランス語版の『資本論』を読むことは大いに役立つ。
 もう一つの例をあげれば、ドイツ語のmehr、フランス語では surplusで、日本語訳では「剰余」と訳されてきた単語である。surplusは sur(・・の上に)とplus(より多く)が一つになった単語で、辞書を引くと、1) Ce qui excède la quantité voulue, Excédent,Eexcès, Reste.(望みの量を越えるもの、超過、過剰分、余り)2) Ce qui vient s’ajouter à qui a déjà été mentionné,Reste.(すでに言及された量に加えられたもの、残り)と説明されている。つまりsurplusは特殊な単語ではなく、日常的に使われるごく普通の言葉なのである。これは英語でも同様である。
 一方日本語では、この概念をあらわすのに「剰余」(現在進行中の中山元訳『資本論』(日経BP刊では、「増殖」という新語が用いられている)という非日常的な単語が用いられてきた。ここにも、近代的な概念をあらわす用語を一つ一つつくりださなければならなかった歴史的課題あらわれていて、それが『資本論』を読む上でも、理解への一つの壁として立ちはだかっている。なおフランス語版の『資本論』は、法政大学出版局から、『カール・マルクス フランス語版資本論』上、下巻(江夏美千穂、上杉聰彦訳、1979年)として刊行されているが、ここでも「剰余」の訳語が用いられている。
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by monsieurk | 2012-12-07 23:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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