ムッシュKの日々の便り

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凱旋門(2)

 レマルクとディートリヒが個人的関係になったのは、1937年9月初めにヴェネチアのリド島で出会ったときからだった。このときレマルクは39歳、ディートリヒ36歳だった。 ディートリヒは『嘆きの天使』以来つき合いがある監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグとレストランで食事をしていた。それを見かけたレマルクが話しかけたのがきっかけだった。
 レマルクは妻のユッタとヴェネチアに滞在しており、ディートリヒはアメリカの映画会社パラマウントと契約していたが、薬物問題で映画出演は途絶えていた。この状況を打開するために、恋人の一人であるスタンバーグを訪ねてきたのである。
 ディートリヒは1923年に、チェコスロヴァキア出身で当時助監督だったルードルフ・ジーバーと結婚し、一年後には娘をもうけた。彼女はジーバーが亡くなるまで法律上の妻だったが、生涯多くの恋人がいた。魅力的な女優であると同時に、リルケの詩を愛読する知的な女性であり、料理が上手で子煩悩な顔も持っていた。
d0238372_15505544.jpg この出会いで意気投合した二人は、この年の秋にはパリの凱旋門に近い「オテル・プランス・ド・ガール」に投宿して愛を深めた。このころ故国ドイツでは、ヒトラーのナチスが政権の座に着いていた。ナチス政権はレマルクに帰国するように要請するが、彼がそれを拒否すると、『西部戦線異状なし』と第二作である『帰還への道』(1931年)を発禁処分にした。理由は、「本の内容が公の治安と秩序を危険にさらす」というものだった。
 映画を重要な宣伝手段と考えていたナチス政権は、世界的に名声を博すディートリヒにも帰国をうながしたが、彼女もこれを拒んだ。そして映画出演の機会を求めて、1937年末にはアメリカのハリウッドへ戻った。
 翌1938年3月12日朝、ドイツ軍は国境をこえてオーストリアに侵入し、オーストリアを併合した。彼ら二人がパリで再会したのは5月のことである。ディートリヒから、「クイーン・メリー号にて27日ニューヨークを発ち、5月2日パリ着」という電報が届いた。
 レマルクは5月1日日曜日の午後、スイスのポルト・ロンゴの自宅を愛車ランチアで出発し、途中国境近くで思いがけない吹雪に遭い難渋したが、その日のうちにパリの「オテル・ランカスター」に入った。ディートリヒが同じホテルに着いたのは3日の午前1時だった。
 5月のパリは新緑の季節である。足立邦夫氏の調査では、これから4日後の5月7日のレマルクの日記には、次のように書かれているという。「ホテルの窓の前に白いローソクをつけた大きな橡の木々。葉に落ちる風と光。部屋の中に入った木々の緑の光」(同書、123頁)。
d0238372_1551135.jpg 二人はランチアを駆って郊外を走り、市内のレストランで食事をした。パリでよく行ったのはホテルの近くの、ジョルジュ・サンク通りとシャンゼリゼ大通りの角にある「フーケッツ」だった。カフェとレストランを兼ねた店は、1899年に、ルイ・フーケが馬車の御者たちの溜り場だった酒場を買い取って開いたもので、名前の「Fouquet’s」は、自分の名前に所有を示す〈’s〉をつけ、当時流行だった英語風に「フーケッツ」と発音したのである。レマルクはパリに来ると、ディートリッヒだけでなく、友人たちとここで会い、食事を共にするのが常だった。
 「フーケッツ」は『凱旋門』で重要な舞台となるが、そこにはレマルクのディートリヒとの想い出がこめられている。
 小説では、主人公のラヴィックはドイツにいたとき、友人のユダヤ人をかくまって逃がした廉でゲシュタポに逮捕され、ハーケに拷問を受ける。彼が拷問に堪えて自白を拒むと、女友だちのシビルが連れてこられ、苛酷な尋問の果てに首をくくって死んだ。その後ラヴィックは強制収容所送りとなるが、そこを脱走し、国境をこえてパリに逃れてきたのである。彼は凱旋門からのびるワグラム通りを入ったところにあるホテルに部屋を借りている。ここはヨーロッパ中の避難民の溜り場で、白ロシアからの難民であるボリス・モロゾフは心を許したただ一人の友人だった。元将軍のボリスは「シエラザード」というキャバレーのドアマンをしていて、マドゥをキャバレーの歌い手に採用してもらったのも彼の口ききだった。
 ラヴィックの逃亡生活を支えるたった一つの情熱は、ハーケに対する復讐の念だった。そして、そのハーケがパリに現れる。ラヴィックが一人で食事を摂っているハーケを見かけるのが、シャンゼリゼ大通りの灯りに照らし出された「フーケッツ」の店先なのだ。
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by monsieurk | 2013-01-27 23:31 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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