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マルローのインドシナⅦ「ランパルシアル紙」

 「ランドシーヌ」の論敵は、最大の発行部数を誇る「ランパルシアル(公平)」紙だった。同紙はマルローがクメールの宝物を盗み出した前科者で、そんな男が新聞を出すことを許していいはずはないと主張した。これに対して「ランドシーヌ」は、6月29日付けの紙面で、マルローとシュヴァッソンにたいする破毀院の判決では検察側の上告が破棄され、両名の無罪が証明されたと書いた。「ランパルシアル」は判決については沈黙したが、その代わりに攻撃の目標としたのが、パンルヴェ首相とのインタビュー記事だった。
 同紙主筆のシャヴィニーは、パリの知人に首相に直接会って真意を糺すように依頼し、その報告が届いたのは7月6日月曜日のことであるとし、パンルヴェ首相はマルローやモナンへの協力を否定していると主張した。7日の紙面には次のような記事を掲載した。
 「サイゴンの新しい新聞について、首相はモナン=マルローの策動のすべてを、関知していないとはっきり述べた。名前を使うことを許したことはなく、許可なしに用いるのを拒否するとパンルヴェは語った。このような事件にかかわりあいを持ったことはないと言明し、その旨を発表する許可を筆者にあたえたのである。」
 この記事は、首相はインタヴューに応じていず、記事が捏造されたような印象をあたえるものだったが、それがシャヴィニーの狙いであった。マルローは神殿の彫像泥棒であり、詐欺師である。そして今またサイゴンで新聞を出して民心を混乱させようとしている。
 「ランドシーヌ」側も同じ7日付けの紙面で反論した。まずパンルヴェ首相の件について、マルローはこう説明した。「ランパルシアル」からの問い合わせがあったとき、「ランドシーヌ」の会見記事はまだ首相の手元に届いていなかったために、そうした発言――「ランパルシアル」が伝えたことが事実だとして――になったのであろう。「会見記事が首相に届けば、首相からは同感と感謝の言葉がくるはずである」。そしてマルローは事実を証明するために、会見記事の原稿〔パリの特約記者が送ってきたもの〕の写真をサイゴンの目抜き通りのショーウィンドに張り出した。
 翌8日には、シャヴィニーに宛てた公開書簡が掲載されたが、これには「アンドレ・マルロー、山師にして有害なジャーナリスト」と署名され、シャヴィニーの漫画が添えられていた。マルローはこの辛辣な記事でシャヴィニーの前歴をすっぱ抜いた。
 それによると、シャヴィニーはサイゴン生まれの混血児で、父はセネガル人とフランス人の間に生まれた男で、母はアンナン(ヴェトナム)人だった。彼自身も最初はアンナンの女性と結婚して6人の子を得たが、のちには妻子を捨ててフランス人女性と再婚した。
 第一次大戦末期に召集されると、6人の子どもの養育費を仕送りしているという理由で出征をまぬがれようとしたが、嘘と分かって出征の船に乗せられた。しかし病気と称してセイロンで下船し、首尾よくサイゴンへ舞い戻った。その後は保守派の政治家にとりいって新聞をつくり、コニャックが副総督として赴任してきてから、彼の資産は倍増した。こうした男が、自分〔マルロー〕を「祖国の裏切り者」呼ばわりするのである。だが彼こそ「グロテスク」で「臆病者」だと、マルローは罵倒した。
 相手側も黙ってはいなかった。彼らはマルローとモナンに、「危険なボルシェヴィキ」のレッテルを貼って購読者の不信感をあおった。このころフランスの植民地では三つの反植民地運動が台頭していた。一つはフランス領モロッコにおける、アブドル・エルクリムが率いるリーフ人の反乱であり、他の二つはインドシナを舞台にしたものであった。アンナンの知識人には、インドでガンディーが実践する非暴力の運動に共鳴するものと、中国で進行しつつある革命から大きな影響をうける人たちがいた。とくに北のハイフォンとサイゴンには多くの中国人がおり、教育をうけたアンナンの人たちは大抵中国語の読み書きができた。
 マルローたちが「ランドシーヌ」紙を創刊する1カ月前には、上海で五・三〇事件がおこり、ストライキの波は中国各地に波及していた。こうした機運はサイゴンにも即座に伝わってきた。ただモナンやマルローの立場は、「ランパルシアル」紙がいうような「ボルシェヴィキ」を容認するものではなく、あくまで植民地インドシナの現状改革をめざすものであった。
 事実モナンは第3号(6月19日号)で、中国での事態をボルシェヴィキの策動によるものと考えるのは誤りである。中国の民衆はマルクシズムなどまったく知らず、もっぱら外国の銀行家と、中国民衆のことより自分の懐のことしか考えない者たちに対する、民族的怒りから立ち上がったものだと論評した。サイゴンのショロン地区にいる中国人商人層は国民党を支持しているが、彼らは労働者でも農民でもなく、国民党の最終目的が中国の共産化にあるなら、それを支持するなずはないと述べた。
 しかし「ランパルシアル」の7月17日の紙面には、「ポール・モナン、中国のボルシェヴィキに売る」という大きな活字が躍った。記事の内容は、サイゴンで開かれた国民党の集会で、ある者が、「中国人とアンナン人は、帝国主義者とくにフランスにたいして黄色人種を立ち上がらせるべく準備をしなければならない」と発言した場に、モナンも出席していたというものであった。そしてこの日以降、連日のようにモナン攻撃の記事が続いた。「インドシナのボルシェヴィキ」、「モナンの影響の新たな現場」、「階級闘争の組織」などで、モナンが国民党の買収されたエージェントで、「ランドシーヌ」紙はその宣伝機関であるとの印象を植えつけようとするものだった。
by monsieurk | 2013-09-26 22:30 | フランス(文化)
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