ジュール・シュペルヴィエルⅤ
ここでは宇宙は人間の奥深い体温にかくれ
皮膚が乗り越えられたときからの掟となった闇になかで
かぼそい星々も天の歩みを進める。
ここですべてはぼくらの静かな沈黙の足音をともない
ぼくらのまわりに音ひとつ立てないひそかな雪崩の響きをともなう。
ここでは中味はこれほど大きい
窮屈な肉体 このみじめな入れ物よりも・・・(「肉体」『世界の寓話』1938年所収)
ぼくの心臓がぼくを目ざめさせ、話しかけようとして
遠慮深い他人のようにぼくの扉にさわる
何を言おうか分からなくて 僕の前にとどまっている
《やあ、わかるよ、君じゃないか。
ことばを探したり弁解したりするには及ばない。
ぼくらの夜更けに ぼくらの森へもう一度わけ入ろう、
まだ生命があるようだから、もうしばらくは
危険に待ち伏せされながらも 生きた心臓でいてくれたまえ》(「ぼくの心臓が・・・」
『未知の友だち』1934年所収)
ここに描かれているように、シュペルヴィエルは心臓病を患っていて、それだけ身体の調子には敏感だった。自分の心臓はもとより小さな筋肉の動きなど、肉体が伝える声を聴き逃さなかった。彼にとって肉体とその感覚とが、宇宙を感覚的に軽量するための尺度であり、そこに宇宙の謎を解くしるしを見出したのである。
だからといって彼は、死を恐れているわけではない。死とは距離を保ち、ユーモアをもって死の恐怖をしりぞける。
ぼくにこの世界をどうしろというんだ
すぐにでも立ち去らなければならないというのに。
まわりの皆に軽く挨拶して、
終えるべきものを眺め、
一人か二人の女性が登場するのを見て
ぼくらが立ち会えないその青春を思う時間しかないのに
それはもうぼくらの魂の問題なのだ。
肉体はその障害で死んでいるだろうから。(「ぼくにこの世界を・・・」
『未知の友だち』1934年所収)
詩人に期待されているのは世界の意味の解明である。そしてそれを可能にするのは彼の武器である「ことば」であり「想像力」である。
「小さな仙女には棒が、魔術師には何か魔法の品物が必要であるとき、詩人には自分に不足しているものをすべて創りだすには、その頭のなかの言葉だけで充分である。詩人にダイヤモンドが必要ならば、一番立派なものを取る。嵐が必要ならば、一番ものすごいやつを取る。魔法の絨毯が必要なら、自分で飛んでみる。詩とは詩人にとって、何ものも放棄しない、そしてそのことによって、わたしたちの不足を充たすことのできる技術なのである。こうして詩人は、自分を創造主と取り違えるような事態が起きる。なぜなら詩人は、地上の楽園のすべての動物たちを見出すことのできる宇宙を統治するからであり、そこでは動物たちは、その場所につきものの二、三の怪物たちと隣り合って暮らしている。」
シュペルヴィエルの世界には、ウルグアイの森の牝牛やパンパスの野生の馬、星座の間のエーテル地帯で迷ってしまい、地球に帰ろうとする鳥たち、世界が終わったあと、神様だけだその声を認めるであろうカナリヤ、まぐさ桶の動物たち、福音書のなかの牡牛や驢馬が生きていて、彼らはみな詩人の親しい友であり、動物たちは人間の生活を温めてくれる。シュペルヴィエルの動物たちは豊かな感情や情愛を秘めている。こうした動物たちとの交流や、日々の生活のディテールから、彼は詩をつむいだ。。
「ぼくは一生のあいだ目に拡大鏡をつけて仕事をするささやかな時計職人の一族だ。詩篇全体がぼくらの目の前で動きだすようにしたいのなら、どんな小さなバネもあるべき位置になければならない。
ぼくは書くのに霊感を待たない。それに出会うの道を半ば以上進んでからだ。詩人はあたかも書き取りをするような、ごく稀れああした瞬間をあてにするわけにはいかない。その点、詩人は霊感など待たずに仕事にとりかかる科学者をみならうべきだと思う。科学はその意味で、逆の場合でない限り、すばらしい謙譲の学校である。なぜならそれはある種の特権的瞬間だけでなく、人間の恒常的な価値に信頼を置いているからだ。一篇の詩がぼくらのなかで、一枚の薄い霧の幕の後ろに待ちかまえているとき、言うべきことが何もないように思えることが何度かあるかも知れないが、この詩が幕をとりはらって現れるには偶然性の雑音を沈黙させるだけで十分なのである。」(「詩法についた考えながら」『誕生』1951年)
それだからこそ、詩人はこの世になくてはならない存在なのである。
詩人にはよくしてやりなさい、
一番おとなしい生き物なのだから、
その心臓も頭も貸してくれるし、
悪いことはみな引き受けてくれ、
ぼくらの双子の兄弟になってもくれる。
形容詞の砂漠では
その痛々しい駱駝に乗って
預言者たちの先をいく。
律儀だから、いつもせっせと
惨めさを見舞い、墓参りもかかさない、
お人よしだから、ぼくらのために
自分の哀れな身体を鴉にあたえる。
ぼくらのほんの些細なものまで
はっきりとした言葉に翻訳してくれる。
そう! 彼の誕生日には、
通訳の帽子をやるとしよう!(「詩人には・・・」『悲しいユーモア詩集』1919年)
シュペルヴィエルは多くの詩やコントをわたしたちに残して、1960年5月17日に亡くなった。この直前の4月30日、人びとは「通訳の帽子」ではなく、「詩王(Prince des poètes)」の称号を贈った。