ラジオ・ドラマ「不安の夜」Ⅳ
SE(吹きすさぶ嵐)
歩哨 暗号は?
私 オデッサ
私(N) 歩哨が扉を開いた。衛兵所にはマッシャー特務曹長が待っていて、不動の姿勢で敬礼した。外套を脱ごうとすると、彼が言った。
特務曹長 あちらは寒いですよ。
私 構いません。外套を着ていると、まるでほんのちょっと覗きにきたように思われかねませんから。
特務曹長 では、参りましょう。
SE(廊下を行く二人の足音)
特務曹長 彼には従軍牧師殿から言っていただけますか?
私 承知しました。
特務曹長 わたしが先に入ります。
SE(独房の扉があき、閉る音)
特務曹長 起きたまえ、パラノフスキー。・・・服を着るんだ、君にお客さまだ。
パラノフスキー 一体どうしたんです?
特務曹長 質問はなしだ、早くし給え。
パラノフスキー ほんのちょっと待って下さい。
SE(便器に小便をする音)
特務曹長 さあ、毛布を片付けるのだ。・・・どうぞ、牧師殿。
私 なぜこんなに早い時間にもう一度やってきたか、分からないだろうね?
パラノフスキー 死刑判決のことですか?
私 そう。
パラノフスキー 減刑の請願は却下されたんですね?
私 そうだ。
パラノフスキー それで、ぼくは何時にやられるのですか?
私 今日。
パラノフスキー 今日・・・何時に?
私 1時間後だ。
パラノフスキー どこで?
私 ここの郊外だ。
パラノフスキー 首を刎ねられるのですか?
私 とんでもない。君は軍人じゃないか、パラノフスキー。
パラノフスキー では銃殺ですね。
私 そう。
パラノフスキー ああ、・・・じゃあ請願は却下されたんだ。・・・(しばらく沈黙)ほんの2、3週間でいいから、人間らしい暮らしがしてみたかった。ただそれだけで、死ななければならないんですね。・・・ぼくは何にも悪いことはしませんでした。牧師さん。・・・ぼくは懲罰中隊へ放り込まれるのは絶対にいやだったんです。われわれの隊にいた2人の兵隊が、懲罰中隊のことを話していました。こんな小さなパンひと切れとキャベツのスープ、それで労働は朝4時半から夕方7時まで。騎馬曹長の監視がついて、しょっちゅう駆け足なんです。それじゃあ、確実にくたばってしまいますよ。
私 パラノフスキー、あと1時間、わたしたちは一緒にいられる。それを有効に使うことが大事だと思うのだが・・・何か頼みがあれば、ぜひかなえてあげたい。・・・君が愛していて、何か伝えたいに人に、手紙を書いてはどうだろう。
パラノススキー(しばし逡巡のあと) いえ、結構です。誰もいません。
私 わたしは一部だが裁判の書類を読んだ。そうしなければならなかったのだ・・・
パラノフスキー そうですか。ではよくご存じなんですね。
私 知っている。でもあんな書類では、本当のことが伝えられているとは思えない。
パラノフスキー まあ、どうだっていいですよ、いまとなれば・・・
私 もちろんそうだ。わたしが言いたいのは・・・君は・・・リューバに、ひと言書いておきたくないかね?
パラノフスキー 手紙を書いても意味がありません。手紙は届きはしません。
私 そんなことはない。
パラノフスキー どうやって届けるのですか。
私 わたしが届くように取りはからう。
パラノフスキー あなたが?
私 そう、約束する。
パラノススキー(間を置いて)まだ時間はありますか?
私 ああ、充分あるとも。
パラノフスキー 便箋をお持ちですか? 牧師さん。
私 ここにある。・・・君の代わりにわたしが書いてあげようか?
パラノフスキー そうしていただけるのなら・・・あなたはロシア語がお出来になりますか?
私 いや。ロシア文字は書けないが、キリル文字なら書ける。だからゆっくりと口述してほしい・・・。
パラノフスキー それじゃあ、手紙の内容があなたにはお分かりになりません。
私 それは構わない。これは君たち二人のことなのだから。
私(N) 彼は口述し、わたしは筆記した。ときどきわたしにもわかる言葉があった。それは相手を思いやる言葉だった。軍事機密の漏洩になるようなことはなに一つなかった。
私 さあ、これで出来た。名前は君に書いてもらわなくては・・・それでないと、リューバは、これが君からの手紙だと信じないだろうからね。
私(N) 彼は名前を書こうとして、手がふるえた。それでもなんとか署名した。彼は村の名前を言い、わたしはそれをひかえた。彼は家の様子をこまごまと語った。
私 わたしたちがここで出会ったことを、やはりリリエンタール牧師に言った方がよいのじゃないだろうか?
パラノフスキー よろしく仰って下さい。でも、それであの方が喜んで下さるとは思えません。
私 君の堅信礼のとき、リリエンタール牧師が与えてくれた言葉を覚えているかな?
パラノフスキー いいえ、もう覚えていません。
私 なにか覚えていないかな。とっかかりがあれば二人で確かめることができるのだが・・・
パラノフスキー ちょっと待ってください・・・なんでも、飲むという言葉がなかにありました。
私 こうだったのではないか・・・「渇ける者はわが許に来りて飲め」。
パラノフスキー そうだったかもしれません。正直に言って、宗教や教会といったものを、あまり気にかけていなかったんです。でもお祈りだけは少しは覚えていました。そしてここ何日か、こんなことをしきりに考えました。・・・これはどうしてなんだろう。もう一遍はじめからやり直すことができないのは、どうしてなんだろう。・・・でも、いまはそれも問題じゃありませんね。
私 いや、いま問題にすべきは、そのことだよ。
SE(5時を打つ時計の音が遠く聞こえる)
パラノフスキー まだ時間があるでしょうか?
私 あるとも。
パラノフスキー 早く済むでしょうか? すぐに当ててくれるでしょうか?
私 当てるだろう。
SE(監房の中を歩きまわるパラノフスキーの足音)
パラノフスキー これがリューバです。・・・あなたは彼女に会ってくださるでしょう。・・・これが男の子。可愛い子なんです。・・・残念です。
私(N) 彼は写真を引き裂いた。その瞬間、彼はまるで愛おしい命から、永久に別れ去る人のようだった。突然、彼は立ち上がると、わたしに抱きついてきた。
パラノフスキー ありがとうございます。 ありがとう、牧師さん。・・・
私 手紙はきっと届けるから。安心して。
SE(廊下を近づいてくる複数の足音。扉の開く音)
軍法会議判事 フョードル・パラノフスキー、ウクライナ方面国防軍司令官閣下により、次のごとく決定された旨、君に通告しなければならない。パラノフスキーの減刑請願は却下された。判決は執行されるべきである。この決定に従って、君は今日、銃殺される。態度を取り乱さぬように! あくまでも軍人らしく死にたまえ!
M(短い悲痛な)
(続)