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マラルメの「賽の一振り」Ⅴ

 第3面を眺めると、そこには白地に黒く傾く難破船の形が見え、第4面では逆巻く渦が、第7面ではいままさに折れようとする羽、そして最終の第11面には天空にかかる北斗七星と見られる星座の形が、文字の配列によって白地に黒く点描されているのが分かる。d0238372_855625.jpg
 「賽の一振り」の紙面構成は、テクストのなかの各々の単語、各々の詩句の相関関係の違いを表すだけでなく、もう一つの役割を担っている。つまり、詩句の配置そのものによって、詩が喚起しようとする対象の形態や情景を暗示しようというのである。こうした仕掛けをもつ「賽の一振り」で、マラルメは何を物語ろうとしたのか。

 マラルメは詩篇の中心テーマ、「賽の一振りは / 断じて / 偶然を / 廃することはないだろう」を、第1面(右ページのみ)、第2面、第5面、第9面にわたって、異なる4箇所に分けて、もっとも大きな活字を用いて配置した。
 しかし、この中心テーマはマラルメがこれまでの詩作において追い求めてきた、「偶然を一語一語征服する」という目標と矛盾しないのか。それを考えるには、「断じて(JAMAIS)」という語を出発点として展開される、さまざまな副次的語群の意味を検討してみなければならない。それらの挿入句は、「賽の一振り」という唯一の行為が行われる状況を規定する、「たとえ難破の底から永久の状況にあって投げられたとしても」という句や、「すなわち・・主が」という文によって導入されるこの劇の主人公の性格などに関するものである。
 では、こうした唯一の主題をもつ詩篇は具体的にはどのような展開を見せるのか。第3の見開きページでは、大海原に擬せられる始原の「深淵」が白く泡立ち、大きな渦が口をあけ、それに翻弄される船体は右に左に傾き、往復運動を繰り返す帆は、飛翔も跳梁も無力であるような翼を連想させる。このページでは、右上から左下方へと流れるように配置された詩句全体の形態が、逆巻く白波や口をあける渦巻きを表現し、なによりも垂直に働く自然の力を暗示している。
 第4面は生と偶然のさまざまな力が働く嵐の場面である。その嵐のただなかにある日、「主」が姿を現わす。第四面の劈頭に、一段と太い活字で記された「主」は、文脈の上では難破船の「船長」とも受け取られるが、彼はマラルメが常々ハムレットに象徴させてきた英雄としての「人間」である。
 1886年に発表した散文「ハムレット」で、「なぜなら他のいかなる主題もないのであって、すなわち、人間における夢と、不運によって彼の人生に分け与えられた宿命との対立がそれである」と書いたが、この劇の唯一の主題は、人間における夢と、宿命との対立なのである。祖先である最初の英雄(主人公)は、自己の意志を宿命に対峙させるべく、「別の数ではありえない唯一の〈数〉」を嵐にむけて投げようとする。だが主は、偶然を必然に還元するこの試みを実行するのを躊躇する。そして、この瞬間に大波が彼を襲うのである。ここにきて主が賽を投げない理由が明らかになる。賽を投げて、たとえ「他ではありえない唯一の数」を出したとしても、それが偶然を廃棄したことにはならないのを知っており、むしろ投げないことで偶然性を止揚しようとするのである。現にそう決心したときに、宿命との対立を引き継ぐ者が出現する。
 第5面冒頭の7行は、「賽を投ずる」という行為(人間の宿命を超克するという夢をかけた冒険)が、波に飲み込まれようとする主〔船長〕から、「あどけない影 / 波しぶきから / 生まれた / 魔(デモン)」に譲られたことを示している。そしてこの存在にイジチュールやハムレットを重ねることは容易である。
 主のあとに出現した「あどけない影」は、人間にとっての根源的な冒険を引き継ぐのである。彼はこの世にあって、「偶然は決して廃棄することはないだろう」という掟を認めつつ、「小さいが男らしい理性」を唯一の頼りに、宿命に挑み続ける決意する。
 私たちはここで、マラルメが評論「音楽と文芸」で語った言葉を思い出す。「私たちは、ある絶対的な公式の虜であり、なるほど、存在するものしか存在しないということを知っている。・・・それでもなお私たちは、私たちのうちには、彼方に輝いているものが欠けているという意識を、ある種のトリックによって、雷鳴が轟く、禁断のある高みにまでいかにして投げ上げるか、そのことを崇めるのだ」。
 重ねて言えば、主あるいは暗礁の王子が、羽根飾りのついた縁なし帽を被っているのは、彼が芸術を手立てに運命に果敢に挑もうとしている証なのである。
 だが宿命の超克は、そう決意したからといってすぐ成就するほど簡単なことではない。第9面の小さまざまな状況を描く、最小の活字で印刷された詩句に囲まれた主文(3番目の大きさの活字で印刷されている)だけをたどると、以下のように読める。「もし(第8面のなかほどにある)・・・ / それが数ならば / それは実在したのか / それは始まったのかそして終わったのか / それは総和の明証性に達したのか / それは輝かせたのか / 〔もしそうであったとしても〕それは / 偶然であった」。つまり主を招き寄せた「確率との至高の交接」に拘泥するならば、それはしょせん「数であり・・・偶然であろう」というのである。このことは、さらに第10面でも違った形で駄目押しされる。
 「なにごとも / 起こること〔場をもつこと〕はないだろう / 〔何かが起こる〕場の外には/ ・・・ / あらゆる実在がそこへ溶け込んでいく / 波の / この海域においては」。
 だが、これがこの詩の結論ではない。第11面に到って、いつしか嵐はやみ、雲の切れた空に星座が輝き始める。
 「高みに / おそらくは / ひとつの場所が彼方と融合するほど遠くに / ・・・ / それは北極星と同じく北にあるはずの / ひとつの星座 / 忘却と衰亡によって冷えた星座 / ・・・/ 〔とはいえ〕ある空無な上方の表面のうえに / 次々と継起する衝突を / 星から来た形で列挙することはないほど / 冷えてはいない星座 / を除いては / ・・・ / あらゆる思考は賽の一振りを発する」。
 黙示録的難破によって、羽根は折れて海に落下し、すべてが「深淵の同じ中立状態」(第9面)のなかに没してしまう。つまり、人間がかかわる現実では、宿命を超克しようとして繰り返される努力にもかかわらず、すべては「偶然」が支配する深淵に飲み込まれてしまうのである。しかし、そのとき天空のはるか彼方に、ひとつの星座が輝きだす。それは人間の意志と努力を超えたものであるかもしれないが、それでも人間の営為を見守っているのだ。

 以上が「賽の一振り」の主要なテーマ、マラルメが「コスモポリス」の序文で語っていた言葉を用いれば、「潜在的な導きの糸」である。
 主〔老船長〕が賽を握った腕を頭上高く掲げたまま、賽を投げずに逆巻く海に没したのは、あとに続く人間への信頼の証であり、「あらゆる「思考」は「賽の一振り」を発する」のであり、人間が絶えず、思考が継続する限り、「偶然を廃する」努力は継続されるのである。
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by monsieurk | 2015-05-31 22:30 | マラルメ
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