広重の版画展
日本化薬会社社長だった原安三郎が長年にわたって蒐集した浮世絵の展覧会で、タイトルに「ビビッド」という言葉が添えられているのは、展示された作品のほとんどが初刷りで、これまでほとんど公開されたことがなく、きわめて保存状態がよいことによる。
展覧会の案内によると、原安三郎は四国徳島に生まれた。家は特産の藍玉を商う商家だったという。昭和の初めに、帰国する宣教師から浮世絵を譲り受けたのが蒐集のはじまりで、本人が旅が好きだったこともあり、歌川広重や葛飾北斎などの風景画を中心に2000点ほど蒐集した。
今回の展示の目玉は、広重の傑作とされる「六十余州名所図会」の揃いもの70点と、最晩年の「江戸名所百景」120点のうちの62点(残りは途中で入れ替え)である。どれも作品集ではお馴染みだが、たしかに保存状態がよく、どれ一つとして染み跡や色落ちがない。もっとも色落ちしやすい赤は、120年前に摺られた当時のままの鮮やかな色を保っており、藍の色も鮮明で、55「阿波 鳴門の風波」の渦巻く海水を表現した藍色のグラデュエーションなどは、いくら見ていてもあきない(写真では再現すべくもないが)。
そしてこの藍の色とともに、今回あらためて気づかされたのは、微妙な発色をする茶色の見事さである。この「鳴門の風波」でいえば、白波がまるで抱き込むように打ち寄せている海中の岩肌の茶。そしてそれから灰青へと変化していく色づかいは類例がない。
これまた解説によれば、初摺り場合は、広重と摺り師が細分にわたって検討しながら絵具と摺り具合を決めたという。それがよく分かるのが、17「江戸 浅草市(初摺)」と18「江戸 浅草市(後摺)」の比較で、18の後摺りの方が、同じ版木を用いているのに、まるで別物のようによく仕上がっている。
広重の風景画の場合は、摺り師はしばしば「当てなしぼかし」という技法を用いたのだという。これは「拭きぼかし」の一種で、版木を濡らして、その上から絵具をのせてぼかす技法で、見当だけでぼかしをつくるところから、こう呼ばれる。摺り師の腕が問われるものである。
展覧会では3階の第2、第3展示室に、葛飾北斎の「千鳥の海」シリーズの10点、それに「富嶽三十六景」のうちの「神奈川沖波裏」以下の6点と、「諸国名所奇覧」6点があり、いずれも原コレクションの一部である。これらを見ながら、北斎が風景のなか描き込んだ人物たちの線の鋭さに感動した。波浪に翻弄される小舟を懸命に漕ぐ船頭たちの貌や足腰。山中を行く旅人たちの引き締まった姿。保存状態がよい版でなくては鑑賞できない、こうした細部を見ることができた。一昨年、パリで開かれた「HOKUSAI」展が大人気だった理由の一つが、ここにあったことを再確認した。
「広重 ビビッド」は6月12日まで、火曜日休館。