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ムッシュKの日々の便り

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男と女――第五部(12)

 金子の『西ひがし』によると、夕食会の翌日、金子はブリュッセル中央駅からパリへ出発し、駅頭では三千代とルパージュ、アンヌマリ、フランシーヌが見送ったことになっている。
 「彼女が眼まぜをしたが、彼女としては、なにかの魂胆があるらしくおもえたが、その意は、通じるべくもなかった。窓近くへ来て、誰もわかるものはいないのだから、日本語で一言二言言えばいいのに、とおもいながら、この機より他にみすみす機会がないと分かっていても、僕の方でも、目まぜに答えることもせず、いたずらに流れゆく「時間」を虚しく見送ることに、運命をゆだねているのであった。」(『西ひがし』)と書いている。
 だが三千代の方は、このときの別れについてまったく別のことを語っている。『金子光晴全集』の「月報7」の対談で、森は、「マルセーユじゃなく、アントワープから乗りましたもの。その当時はアントワープまできていたんです、日本郵船の船が。(中略)自分のことをいって恐縮ですが、だいぶ前に私が『群像』に書いた「去年の雪」という小説がありまして、それに書いていますけれども、金子とベルギ-で別れるところがありまして、それで金子と、キャバレーのようなバーですね、向こうは日本とちょっと様子が違いますから、キャバレーといいましてもバーみたいなものですけれども、そういうところで、最後に日本へ行く金子を見送ったことになっているんですが、事実そうだったんです。ですから、駅とか波止場までは行っていないんです。だから私は、アントワープの港から出たもんだとばかり思っていたんです。」(「金子光晴の周辺」7)というのである。
 事実、森三千代の小説『去年の雪』では、次のように書かれている。
 「照国丸に乗り込む当日、小谷がブリュッセルからやってきた。出帆は、翌朝未明といことだった。荷物を三等船室に持ちこんでしまうと、あとはなにもすることがなかった。十三子(三千代)は、小谷(金子)を誘って、アントワープを案内してまわった。暮れでからおそく、彼等は盛り場の『タベルン・チガーヌ』のテーブルで向いあっていた。(中略)
 「君をのこして大丈夫かなあ。切符はまだ書きかえられるよ。どうせ、船底の蚕棚だ。誰が入れ代ったって、船の方はおんなじわけだ」
 この期におよんでも、小谷はまだ、ふんぎりがつかずにいる。
 「私は大丈夫よ。巴里でおちついたら、すぐ、お父さんの家の方へ、アドレスを知らせるわ。ないよりも、早くお金をつくって、巴里へ送ってくれるのが急務よ」
 「わかっているさあ。日本へかえるなり、金つくりをはじめるつもりだ」
 うけあっている彼のことばに、なにかうつろな、こだまのような自信のなさがあって、十三子の胸底にそれがひびいた。(中略)
 彼女は小谷に笑顔をむけた。安堵した小谷は、あ、そうそう、と、そばにおいた小鞄をあけて、いつも思いついたことを書きつけておくノートを取り出し、用心ぶかく、頁の一ところをひらいて見せた。十三子がいっしょにのぞきこむと、それはなにも書いてない頁の、綴じ目に近いところに、長さ五センチ位のねじれた毛が四、五本はさんであった。
 「なに。これ・・・・」
 「記念に拾っといたんだ。もう君ともしばらく会えないからね」
 「いやね。捨てた方がいいわ」
 十三子が手で払おうとすると、小谷はいそいでノートを閉じて、胸にしまいこんだ。」
 そのとき扉が開いてジプシーのバイオリン弾きが入ってきて、二人のテーブルにやって来た。話すことが尽きかけたところだったので、彼女が頼むと「ハンガリア狂想曲」を情熱的に弾いてくれた。彼女は千フラン札を小谷に渡して、チップのするので小銭に換えてくるように頼んだ。
 「小谷が気軽に帳場の方へ立っていったあとで、十三子は、メニューの裏に走り書きした。
 ――これ以上つきあっていると、私の方が船に乗りこむことになりそうです。だから、これで左様なら。今夜の汽車で巴里へ発ちます。早く、宏(乾)のところへ帰ってやってください。
 そのあとへ、楽師のチップは私がやってゆきますから、もう不用、お金はここのお払いにして下さい、と書き添えた。テーブルの目につくところへ、その走り書きをおき、小谷が席へもどって来ないうちにと、ハンドバッグを持って、そっと立ち上った。つかみ出した十フランを楽師の、楽器をおさえている手に近づけ、「もう少し、弾きつづけて下さい」と言い捨て、かくれるようにして、『タベルン・チガーヌ』を出た。」(『去年の雪』) 
 金子ははたして、汽車でブリュッセルの中央駅からパリ経由でマルセイユへ行き、そこから船に乗ったのか。それともアントワープまで乗り入れていた日本郵船の照国丸に乗ったのか。あるいは三千代がいなくなったあと、ブリュッセルに引き返して、翌日ルパージュたちの見送りをうけて旅立ったのか。さらに、三千代自身はこのあと帰国までどこで生活したのか。これらの事実を確認する手立ては残されていない。ただ金子の『ねむれ巴里』の終わり近くに、「ルパ〔ージュ〕さんとしてみれば、きれいに僕を日本に帰すには、旅費を僕のために払ってやるほかにやりかたはないし、その日がながびくほど迷惑が大きくなってゆくこともわかっていたので(中略)、こんどは、さっさと、僕も腰をあげるつもりになった。アントワープに行って、M〔宮田〕氏に改めて彼女を託し、旅費を送りしだい彼女も発てるようにたのみこんだ。」という記述がある。これが本当だとすれば、金子は最後にアントワープへ行き、そこから乗船した可能性はある。
by monsieurk | 2016-09-01 22:30 | 芸術
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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