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ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(15)

さらに注目すべきは、「鷭」の四月創刊号と七月の第二号に、金子光晴の詩集『鮫』が雑誌の発行元である鷭社から、近く出版されるという広告が載っていること、創刊号第一輯では、「金子光晴著 / 詩集 / 鮫 / 近刊 / 鷭社 / 定価未定」とある。そして七月一日発行の「鷭」第二輯では、「定価五十銭 / 送料六銭」と、具体的に記されている。これから推察すると、少なくとも六月の段階で、詩集を構成する作品は出来上がっていたと考えられる。しかし「鷭社」はは資金が続かず、雑誌も第二号をもって廃刊となり、予告された金子の詩集も刊行されなかった。
 金子はこれらの詩を創作するのと並行して、少しでも生活費を稼ぐために少年少女向けの読み物を書いた。それが出来上がると、乾を連れて小石川の講談社を訪ねては知り合いの編集者に渡し、引きかえに小遣い程度の金を受け取った。講談社は少年用のチャンバラや奇想天外の物語をつねに欲しがっており、金子は思いつくとすぐそれを書いて持ち込んだ。そうしたものはこのとき十数篇にものぼった。
 そっして原稿が売れた日は、決まって乾を新宿の裏通りの中華料理屋に連れて行った。その店は中華饅頭や餃子、台湾風のビーフンが売り物で、それらをご馳走した。そんなとき金子は、幼い息子にむかって、「あんたのオカアさんはあんたを放っといて、酒ばかり飲んでくる。寂しくて不満に思わないか?」と、自分の鬱憤を子どもにかこつけて呟いた。
三千代の小説が売れ出して、編集者が仕事場にしているアパートに原稿を取りに来るようになった。たまたま金子がそこに顔を出すと、詩壇に疎い編集者は誰だろうという顔をした。三千代が紹介すると、相手はちょっと白けた表情になって挨拶した。金子の方も訪問客の目当てが三千代であるのが分かっていたので、散歩に出かかてしまうことが度々だった。
 原稿が売れだすと、三千代の交際は派手になり、半分は仕事の必要から編集者や男友だちと酒を飲んだりダンスに行く機会が増えた。会合などに金子を同伴することはなくなり、息子の乾を連れて行くこともあった。
 あるとき三千代が泥酔して帰宅し、余丁町の家の玄関からあがると、そのまま畳の上に倒れ込んだことがあった。迎えに出た金子は、彼女の腕をとって奥へ連れて行き、洋服を脱がせ、ガードルをはずし、脚の絹のストッキングを脱がした。そして三千代が吐きたいと言うと、洗面器を持ってきて、その上に古新聞を敷いて介抱した。こうした光景を息子の乾が目撃していた。この間、父親は文句ひとつ言わなかったが、眉間には皺を寄せた不機嫌な顔つきだったという。 
 三千代の小説「柳剣鳴」が、神近市子が主宰する雑誌「婦人文芸」の八月号(七月刊行)に掲載された。すると当時の流行作家武田麟太郎が、「改造」の九月号の「文芸時評――婦人作家の作品」で取り上げ、「森三千代の『柳剣鳴』は妙に読み易い作品だが、読んで了えば、それでおしまいである。途中ところどころ、うまい表現にぶつかるのは、作者の詩人が出て来るのであろう。いい意味での色気があるが、反省のないのはどうしたものか」と評した。
 三千代の持ち味をずばり言い当てた批評だったが、これが小説を批評された最初でうれしかった。
by monsieurk | 2016-10-20 22:30 | 芸術
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