男と女――第六部(28)
「雲の切れ目からあがってくる太陽の壮観を観ようというわけだ。人々は、それを御来迎と呼び、瞬間、讃仰の声を放ち、白衣の行者たちが、数珠をおしもんで経文を唱えたりしているあいだで紅肌に白い毛ずねを股まで露わに出した外人の娘や、日本の学生たちが、しきりにカメラをむけて、カチカチやっていた。大きな自然をみたりすると、人間の感性はその威圧を受け、たようろうとするおもいを抱くものらしいが、なにものにもじぶんを捧げるほどの敬虔な感情をもったおぼえのない僕の眼には、それはただ大仕掛けなキネオラマとした映らなかったが、それでも、心を洗われるような清涼な空気の味と、少なくとも窮乏な日常生活の煩いをふり落して、遠くに来ているなという、意地悪な、さばさばとした報復感だけは味わうことができた。」(『鳥は巣に』)
このあと三人は火口を一周して五合目まで下山し、そこからは自動車で山中湖にあるホテルに泊まった。さらに富士五湖をめぐり、浅間温泉、上高地、中湯温泉、五千尺、を見てまわった。
その先、槍ケ岳にも登るはずだったが、金子は腰痛で動けなくなって宿に残り、三千代と乾の二人だけが槍ケ岳の麓まで行った。あとで訊くと、三千代は雪渓にそった道を、乾の手をひいてハイヒールで登ったのだという。専門家によれば、雪渓の下には雪解け水が流れていて、その上を街を歩くのと同じような姿で登るのは無謀そのものだった。だがこれも向こう見ずの連続の三千代らしいやり方だった。こうして金子は腰の痛みをかばいながら、余丁町の家に帰り着いた。
「生涯のたのしかった頃は、あの時が頂上だったかもしれない。負債も片づいたし、一銭の貯金もないながら、入ってくる金も多少あり、金があれば、遊び場に出かけて、みんなでそれを手ばたきにした。まるで、これまでの意地ばらしのような心境からであった。」(同)
三千代は相変わらず武田麟太郎の許に出入りしていて、ときどき妹はるを連れて行ったが、彼女は武田の家でよく顔を合せる国民新聞社に勤める菊地克己と結婚することになっり、十月十二日に、ささやかな披露宴が行われて金子も出席した。
十一月二十五日、国際連盟から脱退して国際的に孤立化を深めるの日本は、ヒトラーのドイツとの間で日独防共協定を調印し、国内ではそれを祝う祝賀会が盛大にもよおされた。