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ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(5)

 病人をつくる

 家族で疎開する決心をしたとき、怖れていた徴兵令状が乾に届いた。一九四四年(昭和十九年)十二月二日の午後九時に、東京駅中央ホームに集合とあった。集合完了後は直ちに博多行の汽車に乗る予定であるところまでは分かったが、その先はどこへ連れていかれるかは不明だった。
 これ以降の経緯については、金子の『鳥は巣へ』、息子の乾の「金鳳鳥」(『父・金子光晴伝』)、それに三千代の「日記」第五帖(「こがね蟲」第一巻に公表)に詳しく書かれている。これらを参照しながら、親子三人の行動をたどってみる。
 三人は悲嘆にくれながらも、出征する乾のために国民服や戦闘帽はもちろん、雑嚢、日の丸の襷、千人針を用意した。出発までは一週間あるので、金子が交通公社勤務の知人に頼んで、二人分の博多行寝台券を手に入れた。息子をそこまで送っていくつもりだった。
 親子三人が泣く泣く日を送るうち、前日になった。そのとき金子がふと思いついた。乾を病人にしてしまえば、出征しなくとも済むのではないか。もともと喘息持ちの乾を本当の喘息にしてしまえばいい。このアイディアに三千代も飛びついた。
 彼らはさっそく実行することにした。金子は応接間の窓を全部閉めると、庭に降りて松の枝を四、五本折り、火鉢の灰の上につみあげた。松葉に火をつけ、狐つきをいぶり出す要領で部屋中を煙だらけにして、喘息をおこさせる算段だった。
 乾はもうもうと煙が立ち込める応接室に一時間以上頑張ったが、効果はさっぱりなかった。
 それならば風邪をこじらせて、肺炎にする以外にない。乾はパンツ一つになって我慢したが、緊張で身体は震えるものの、風邪の徴候はいっこうに現れなかった。次は風呂桶に水を張り、三十分以上そこに浸かったあと、本をいっぱい詰めたリュックサックを背負い、裸で駆け足をし、そのあとまた水風呂に入ってから、もう一度応接間の松葉いぶしを行った。一晩中こんなことを繰り返し、明け方近くに、やっと喉に少し喘音が聞こえるようになった。
 乾を寝床に寝かせると、明るくなるのを待って、三千代がバスで一駅離れた開業医を呼びに行った。医者が来ると、患者を看てもらう前に、二人が喘息持ちの息子の病状を大げさに訴え、なかば強制的に診断書を書いてもらった。
 あとで分かったことだが、医者はクリスチャンで平和主義者だったから、疑念を持ちつつ両親の心情にほだされて、診断書を書いてくれたのかも知れなかった。
 翌日の夜、金子は診断書をもって集合場所の東京駅へ向った。灯火管制下のホームは暗く、そこに召集された若者とその家族がつめかけていた。ようやく責任者を探し当てて、診断書を渡し事情を説明した。
 「もう列車の発車間際で、その男もいそいでいた。話をしながら診断書をとり出し、
「もし治りましたら、後から追わせますから。本人はほんとうに残念がって・・・」
 と晴久〔光晴〕は言った。声は緊張のせいか、悲痛に響いた。晴久はさらにつづけた。
「きょうの入営を息子はどんなにか楽しみにしていましたのに」
 彼が稀代のうそつきの名人だと知るよしもない引率者は感激した。
「しかし今回はどっちみち間に合いませんよ。博多へつくとすぐ北支行きの輸送船に乗るのです。現地訓練の部隊ですから。御子息には来年あらためて召集令状がいくことになります」
 男から別れると、晴久は小躍りしながら帰宅した。
「万歳だよ。全てうまくいった」
 彼はいきさつを全て話し、ちょっと考えこむように首をかしげながら付け加えた。
「ただまっくらなホームで、父や母が子供のそばで名残りを惜しんでいるのは可哀そうだったなあ。みんな裕〔乾〕と同い年の子供だからなあ」」(「金鳳鳥『父・金子光晴伝』)
 三千代も大勢の母親が自分と同じ苦悩を背負っていることを思うと後ろめたさを感じたが、計画の成功の喜びがそれに勝った。
by monsieurk | 2017-05-18 22:30 | 芸術
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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