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鮎川信夫「戦中手記」

 横浜の「港が見える公園」にある神奈川近代文学館では、作家や詩人を一人取り上げて展示を行う企画がよくある。「鮎川信夫 没後30年と『荒地』展」が、昨2016年5月から7月にかけて開催され、詩游会の仲間と見に行った。d0238372_626595.jpg 
  詩人鮎川信夫の生涯と作品をたどる数々の資料が展示されていたが、なかでも目をひかれたのは、会場中央のガラスケース一杯に広げられた「戦中手記」の現物であった。
 巻紙5枚を貼りあわせた長い長い紙一杯に、細かい字で書かれた手紙形式の作品は、のちに思潮社から活字本として刊行されたが、その実物を見るのは初めてで、時間をかけてじっくり読んだ。
 その中に次のような文章があった。

 「各世代は如何に歴史の中から自己の模範とすべきもの、自己の支柱となるべきものを選び出し、又それを解釈してゆくかによって特徴すけられるものであり、「歴史を解釈する」ことによって歴史を変更し、――つまり創られてゆくのである。歴史が生々としてゐることは、人間が生き生きとしてゐることを示し、歴史が頽廃した時は人間が頽廃した時である。
 私は歴史をさうした意味で理解すると共に「荒地」の意義を解明し、「荒地」の意味するところのものを理解することによって、歴史は本来の意義をもって私の前に顕現し得たのである。「荒地」は我々にとって最もはっきりした経験的事実の集まりとして確実に把握し、細部についてもその「事件」の核心について繊細に感じとることの出来る特殊な社会史であると云へよう。」
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 「人類の経験した最も大きな戦争、――全く民族と民族が衝突し合ひ相鬩ぎ合ひ破壊と敵意と生存に対する強烈な執着とによって進行してゆくこの巨大なドラマは、今年〔1945年〕に入ってはっきり終幕に近附いたことを感ぜしめる。独逸は敗れ去るであらう。それから二年以内には全世界から戦火は絶えてしまふだらう。そして新しい不安と希望の世紀がはじまるのだ。その時になって誰が今日の正義や理想など保証してくれるれ者があるだらうか。幻影は消え去ってしまふ。如何なる悪夢も宗教も、これほど我々を悲惨に喘がしめ、狂熱と醜行を強ひ、迷信の溝梁につきおとして時と共にはるかに過ぎ去り、みずからの踊った悪い踊りの疲れをこれほど深く人心に感ぜしめるやうなことはない。その時になってもなほ、変らぬ義憤の心や自己自身の陶冶に魂を砕いて生ける者とならねばならぬ。」

 「戦中手記」は、戦争がまだ続いていた1945年2月から3月にかけて、満24歳の青年が書いたものである。鮎川信夫が触れている「荒地」は、1939年(昭和14年)、彼が19歳のときに、友人たちと創刊した雑誌、第一次「荒地」のことである。
 鮎川は1942年10月、大学を卒業しないまま近衛歩兵第四連隊に入隊。翌43年5月、スマトラ島に送られて戦地戦問いを転々とした後、1944年6月、傷病兵としいて内地へ帰還。8月には福井県の傷痍軍人療養所に収容され、そこでこの「戦中手記」が書かれた。
 戦後1947年9月、第二次「荒地」が創刊され、翌1948年6月、第6巻まで続きました。「荒地」に集まった人たちは、雑誌が終刊となったあとも、それぞれ創作活動を活発に行うとともに、各人が収穫を持ち寄って、毎年『荒地詩集』を出した。
 これには北村太郎、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫などがおり、彼らは戦後、新たな詩を創造することになる。その背後には、一度は死を覚悟した体験があった。鮎川の「戦中手記」の肉筆の一文字一文字は、見る者に迫る迫力をもっていた。
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by monsieurk | 2017-07-20 22:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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