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ムッシュKの日々の便り

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東大教養学部新聞

駒場の教養学部に在学中は、「東大教養学部新聞」に所属して、毎月一回刊行する新聞づくりに熱中した。この時代の「新聞会」については、東京外国語大学名誉教授で、学問論・思想史が専門の上村忠男氏が、『回想の1960年代』(ぷねうら舎、2015年)で次のように書いている。

「新聞会の部屋の扉を叩いたのは〔1960年〕426日の国会デモに出かけた直後ではなかったかとおもう。(中略)

新聞会では、編集長の柏倉康夫を中心に、1959年入学組の2年生10名ばかりが活動していた。・・・これにわたしのほか、・・・1960年入学組10数名が新たに加わって、喧々諤々の議論、部室はいつも活気に満ちていた。

議論は時として激することもめずらしくなかった。なかでも、ブントに所属していた中垣行博が、編集部員の担当する「射影」という一面下のコラムで、日本共産党内の構造的改革派の論客の一人として知られる安東仁兵衛の426デモ当日の行動を批判する記事を書いたさいには、どうやら共産党内で安東らの構造的改革路線に同調する立場をとっていたらしい後藤仁がクレームをつけ、一座の空気が一瞬凍りついてしまったことがあった。1127以降顕著になりつつあった全学連内部における主流派と反主流派の対立は、新聞会の部員たちのあいだでの議論にも折に触れて顔をのぞかせていたのだった。」

1960615日に、新安全保障条約が自然承認された夜、国会を取り巻いて抗議のデモを行っていた私たち学生のなかで、樺美智子さんが警官隊との衝突で犠牲になった。私たちの「東大教養学部新聞」も、6月20日号(第109号)の4面すべてを、6・15当日の行動と樺美智子さんの死に割いた。

第1面では、「血塗られた6・15闘争」、「警棒に倒される学友」、「だがぼくらは民主主義を守る・・・」と3本の4段見出しを並べ、記事は、「6月15日東大教養学部では前日の自治委員会決議にもとづき、約千人が陰うつな天候の中を国会正門前に向い、地方から駆けつけた学生も含めた約1万2千人とともに午後4時ごろより国会でもに入った。」と書き始められている。そして午後6時ごろ、機動隊との衝突のなかで一人の女子学生が亡くなった。それが樺美智子さんだった。

新聞の4面には、東洋史の上原淳道助教授に依頼した記事、「劉和珍さんと樺さんと、樺美智子さんを祈念して」が載っている。

上原さんは記事の最後を、「編集部は樺さんの死のもつ意味、その死のもたらす影響、ないしその死から汲みとるべき教訓などについて私に書いてもらいたいらしい。だが私はそれをやめようと思う。樺さんは明確な目的と尖鋭な意識とをもって行動しているうちに権力によって殺されたのであり、その死は岸政府とアメリカ帝国主義とに大きな打撃を与えた。しかし樺さんを英雄にまつりあげたりしてはなるまい。その死を讃美してはなるまい。その死を讃美したりする動きのなかには、若者を利用しようとする「世間の大人」や「世俗の政治家」のずるさがほのみえる。そのようにずるい大人や政治家んこそ、樺さんはもっとも激しく憎んだにちがいないからである。」

その後夏休みになると、闘争に加わった学生たちは、安保反対運動の経過を地方の人たちに説明するための「帰郷運動」を行った。だが皮肉にも、安保反対闘争の熱は夏休みを境に急速に冷めていった。

 政治一色だった東大教養学部新聞も、反安保の運動の総括をするとともに、文化面にも力を入れることになった。その一弾として、当時京都の同志社大学教授だった矢内原伊作氏に原稿を依頼したのである。矢内原氏は1955年(昭和30年)から足掛け3年間、フランスの彫刻家アルベルト・ジャコメッティのためにポーズをし、その経験をもとに雑誌「みずゑ」の昭和3411月号から翌年1月号にかけて、「ジャコメッティ論」を連載していた。その体験をあらためて書いてもらおうとしたのである。

一度は承諾していただいたが、原稿の締め切り直前になって、どうしても書けないと断りの葉書が舞い込んだ。文化欄を空けたまま新聞を出すわけには行かない。それを埋めるのは編集長の役目だということになり、2日で書き上げたのが私の梶井論である。最後は新橋にあった印刷所の片隅で書いたことを覚えている。このように、私が梶井基次郎について書くことになったのは、まったくの偶然からだった。

この時に書いた「梶井文学の「今日」的問題~特徴的な意識の転位」は、次回のブログに掲載するが、いま読み返してみると、若書きの気負ったものだが、私の梶井理解の枠組みは、「のんきな患者」の評価を別にすれば、ここに提示されていることが分かる。

 梶井の文学を考える上で、私がもっとも影響を受けたのは、昭和34年(1959年)に発表された安東次男氏の「幻視者の文学」であった。安東氏は梶井の本質を、「物質に不可侵性を無視する」という言葉をキーワードに、ボードレール以降の文学に連なる幻視者(ヴィジオネール)と捉えるものであった。

当時、ステファヌ・マラルメについての論文を準備し、そのかたわらウルグアイ生まれの詩人シュペルヴィエールの詩やコントを愛読していた私にとって、わが意を得た思いであった。

 安東次男氏に直接お目にかかったのは、本郷に進んだ昭和364月中旬だったと記憶する。この年の「5月祭」にフランス文学科の有志と講演会を企画して、講師を引き受けてもらうべく世田谷のお宅を訪問した。安東氏は私たちの申し出を承諾してくれ、その後話は梶井のことになった。

私が「幻視者の文学」に感銘を受けたこと、その影響のもとに小論を書いたことを伝え、安東氏の本格的な梶井基次郎論を読みたいと云うと、「一度書いたものを再度取り上げるのは難しいものだ、それほど関心があるなら、君が書いてはどうか」と勧められた。だがそれはなかなか果たせなかった。

 「『青空』の青春」を雑誌「文芸広場」に書き始めたのは、1984(昭和59年)4月号からである。連載は1990年(平成2年)12月号まで82回におよんだ。毎回、400字詰め原稿用紙30枚ほどを毎月かかさず書いた。この間2度目のパリ特派員の勤務があり、198911月にはベルリンの壁が崩壊して、ヨーロッパの大変動が起ったが、このときもベルリンで歴史的転換を取材しつつ、夜はホテルで梶井論を書いてFAXで東京の出版社に送りとどけた。だがこれだけの時間をかけても最後まで書ききることはできなかった。「文芸広場」の連載の最後をこんな言葉で結んでいる。

 「69ヶ月に及んだ連載を一度これで中断することにする。雑誌の紙面縮小による編集部からの要請である。これまでに400字詰めで2000枚をこえたが、梶井の文学生活はまだ終っていない。機会を改めて、この後も梶井を追い続けていく積りである。

 梶井は昭和35月に上京し、飯倉片町の堀口方に落ち着くと、ふたたび創作の筆をとる。昭和7年、32歳の生涯を終えるまで、あと4年の歳月が残されている。」

 「文芸広場」への連載は、梶井が14ヶ月続いた湯ヶ島滞在を切り上げるところで終った。そしてその後この連載の前半部分を切り詰めたものを、「梶井基次郎の青春 『檸檬』の時代」と題して、1995年(平成7年)に丸善出版から上梓し、続いて第2部を出版すべく原稿を丸善出版部に渡していたが、編集者が亡くなったこともあって、出版は実現しなかった。

 一度中断した執筆を再開するのは容易ではなかった。そして私の方にも環境の変化があった。1996年(平成8年)2月にはNHKを退職して、京都大学文学研究科に教授として赴任し、6年間京都に住んだ。

京都で借りた最初の家は北白川西町の京大農学部のそばで、梶井が「檸檬」の草稿である「瀬山の話」を書いた下宿、澤田三五郎宅とは目と鼻の先にあった。早速訪ねてみると、梶井が居た当時の下宿は取り壊されて、学生相手のマンションに変わっていたが、玄関の脇には、「檸檬」を記念するようにレモンの若木が植えられていた。

 梶井がレモンを買った八百卯、丸善、鎰屋、丸山公園下のカフェ「レーヴェン」などはみな姿を消したが、彼が雪のなかを若王子まであるいた疎水の道や、古本を買った寺町の尚文堂は代替わりこそしたものの同じ場所で店を開いていた。

 梶井基次郎の続きを書きはじめたのは、2009 (平成21)3月、その後に転じた放送大学も退いて、しばらくフランスに滞在していたときである。後半の第4部、第5部をおよそ2ヶ月で書き終えることができた。

閣筆は628日。「文芸広場」への連載開始から数えれば、25年目のことである。これは『評伝 梶井基次郎 視ること、それはもうなにかなのだ』として、20108月に左右社から刊行することができた。


なお、1960年の闘争の経緯については、東大教養学部新聞会の仲間だった故小塚直正氏が編纂したCD-ROM『Once upon a Time, Memories of 1960』が詳しい。内容は、0「目次」、1「1960年6月の新聞雑誌」、2「安保闘争それぞれの現場」、3「全学連ブントの証言」、4「安保世代20年後の人生」、5「1960年の学生社会世相」、6「いわゆる文化人たちの安保」、7「訣別」、8「全学連反主流派の60年安保」、9「1960年代の芸術」と豊富で、資料としてはなはだ貴重である。

上に引用した「東大教養学部新聞」1960年6月20日号も全4面が収録されている。


by monsieurk | 2019-08-13 15:03 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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