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ムッシュKの日々の便り

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2013年 05月 17日 ( 1 )

ポーの婚約者ホイットマン夫人(3)

 ポーは肉体的にはともかく、精神的にはいつも誰か女性を愛していなくてはならない性分だった。ヴァージニアが亡くなったあとも、ミセス・ショーやミセス・オズグッドなどの女性がその対象となり、彼女たちの方も精神的、物質的援助を惜しまなかった。ただポーの飲酒が増し、そのためか虚言癖が昂ずるようになると、彼女たちも次第に遠ざかるようになった。
d0238372_8425198.jpg こうしたなかで登場したのが、セアラ・ヘレン・ホイットマン夫人(Mrs. Sarah Helen Whitman)だった。彼女は父ニコラス・パワーと母アンナ・マーシュの間に、1803年に生まれた。父のニコラスはイギリス海軍に勤務していたが、1813年アメリカへ移住。その後も船乗りの仕事を続け、セイラ・ヘレンは妹とともに、ロードアイランド州プロヴィデンスで、母親の手で育てられた。
 彼女は1825年に詩人で作家のジョン・ウィンスロウ・ホイッオマンと婚約し、雑誌の共同編集者になった。そして3年後の1828年7月に結婚、同年にヘレンのペンネームで最初の詩集を刊行した。だが夫は1833年7月に亡くなり、わずか5年の結婚生活だった。以下、イギリスの伝記作家John H. Ingram: Edgar Allan Poe;His Life, Letters, and Opinions. (Ward, Lock, and Bowden, & Co. 1891) をもとに、ポーと彼女の交際をたどってみることにする。この本はステファヌ・マラルメも生前に読んでいたものである。
 ポーは1845年にプロヴィデンスへ旅行したことがあり、そのときたまたま自宅の門口に立っているホイットマン夫人を見かけたというが、その後はすっかり忘れていた。ところが1847年から48年にかけての冬に、ニューヨークの文学者たちの間で開かれたヴァレンタイン・パーテイの際に、ホイットマン夫人は友人の頼みをうけて、無著名の詩をいくつか「大鴉」の著者に贈った。すると間もなく、ポーから詩篇「To Helen(ヘレンへ)」が送られてきた。これは彼が14歳のときに出会った美しい女性をうたった旧作で、名前が同じことから、それを再利用したのだった。
 ホイットマン夫人に興味を持ったポーは、6月10日には、プロヴィデンスを訪れたことのある、さるイギリス人に手紙で彼女のことを尋ねている。
 「ホイットマン夫人をご存知ですか? 私は彼女の詩と人物に深い興味を感じます。彼女に会ったことはなく―― 一度見かけたことがあるだけです。彼女の人柄の空想的なところが特に興味があり、私の好奇心を刺激します。・・・彼女について何でも――ご存知のことはすべて話し下さいますか――ただし秘密はお守りください――私があなたにお願いしたことは誰に知らせないでください。あなたを信用してよろしいですね?」
 この手紙が書かれてからしばらく後の8月上旬、ホイットマン夫人は2連の詩をポーに宛ててフォーダムの住所へ送った。手紙には差出人の名前が書かれていず、しかもフォーダムには郵便局がなかったから、一番近いウエスト・ファームズの郵便局に数週間留め置かれていた。そしてこのことを知らされたクレム夫人は、手紙をリッチモンドにいるポーに転送したのである。手紙に署名はなかったが、ポーは筆跡からそれがホイットマン夫人からのものと了解して、9月5日付けで次のような返事を送った。
 「親愛なる夫人、
 アメリカのもっとも著名な著者たちの自筆を蒐集しているものとして、貴女の自筆を入手できるかどうか心配です。そしてもし、貴女が、短くとも、この覚書にお返事をくださるなら、それを特別なご厚意と受け取ることでしょう。」
 ポーはこの手紙をEdward S.T.Greyの変名で送り、この後9月21日には、当時は名前を知られた女性詩人のミス・マリア・マッキントッシュの紹介状をもって、彼女の家を訪ねたのである。ミス・マッキントッシュは夫人に宛てた手紙で、「一カ月ほど前の夜、私はポー氏にフォーダムのさる紳士の家で会いましたが、彼が話したのはすべて貴女のことでした」と伝えていた。
 ポーはプロヴィデンスに25日まで滞在し、二晩つづけてホイットマン夫人に会った。のちの手紙の様子では、そのうち一度は墓場を歩きながら、ポーは自分の気持を打ち明けたものと推測される。だが彼女ははっきりとした返事をしなかったようである。
 彼女からの返事は30日になってようやく届いた。この手紙は残されていないが、ポーが出した手紙から推察すると、「もし私がもっと若く、健康だったら」といった理由で、婉曲に断ったらしい。だが諦めきれないポーは、10月1日の日曜日夜、愛を切々と訴える長い長い手紙を書いた。
 「やさしいヘレン、貴女の手紙をいくど唇に押し当てたことでしょう――それが歓びの、そして『神聖な絶望』の涙にぬれるまで。でも、いまの私には単なる言葉がなんでしょう――先日、お会いしたときは、『言葉の力』を誇った私ですが。もし天の神への祈りの力が信じられるならば、私はいまこそ跪いて――心から跪いて――わが人生におけるもっとも真剣なこのときに――言葉を懇願するために跪き――心のたけを貴女に伝えることができる言葉――ただそれだけを願いたい想いです。・・・、おお、ヘレン! ヘレン! 貴女がその純粋な霊的な眼で、いまの私の心の底を見通してくださるなら、ああ、未だどうしても口にしてくださらない一言を拒むことはなさらないでしょう。――私の愛の深さのためだけにでも、私を愛すると言ってくださるはずです。愛されることは、この冷たい荒んだ世界にあって、どれほど貴いことでしょう。――おお、私がアンダーラインを引いたこの三文字〔愛されること〕の深い――本当の意味を、貴女の心に焼きつけることができさえすれば!――ああ、でも、すべては無駄でした。『私は生き、そして誰にも聴かれることなく死ぬ』のです。」
 手紙はこうした書き出しで延々と続くのだが、ヘレンを見初めた最初の出会いの部分はこうなっている。
 「私はできるだけ率直な言葉で、初めてお会いしたときの印象を記してみます。――貴女が部屋に入ってこられたときは、青ざめ、おずおずとして、ためらいがちで、明らかに何か心に悩みがあるようにお見受けしました。そして貴女の眼が、ほんの一瞬でしたが、訴えるような眼差しで私をご覧になったとき、私は生まれて初めて、理性を超えた霊的な力の存在を感じ、震えるような気持でそれを認めました。ヘレン、私は貴女を――私のヘレン――数知れぬ夢想を通して夢みつづけていたヘレン――素晴しい恍惚の中で、幾度もその幻の唇と私の唇が触れ合ったかもしれないヘレン――ああ、たとえこの世ではなくとも、少なくとも未来では永遠に――私のもの――いえ、私だけのものであるべく、偉大なる神によって宿命づけられているヘレン――そのヘレンだと気づきました。・・・・」
 この手紙に対する返事は10月10日ごろ届き(これも残されていない)、ポーの素行について警告する人があるなどの理由をあげて、またも求愛を断ってきた。こうした手紙の往来が二、三度あったあと、業をにやしたポーは11月2日に、またプロヴィデンスに向った。だがその途中で自殺未遂事件を引き起こしたのである。
ポーは出発するとすぐに酒を飲みはじめ、ついには泥酔状態に陥って、プロヴィデンスに着くまで何も覚えていないありさまだった。そんな一夜をすごした彼は、夜が明けると阿片2オンスを買い、ホイットマン宅を訪問する代わりにボストンへ行き、阿片半オンスを飲んだのである。だが飲んだ量が致死量をはるかに超えていたためにすぐに吐いてもどし、命だけはとりとめた。
 こうして11月4日に彼女と会う約束は果たされず、半病人のポーが姿をあらわしたのは7日のことだった。ホイットマン夫人は4日間待ちぼうけを喰わされたのである。ポーはまたしても執拗に求愛を繰り返した。彼女の方はポーを中傷する手紙を見せるなどして難色を示したが、自殺未遂まで起こした人を救えるのは自分しかないと最後に思ったのだろうか、11月13日、今後は絶対に禁酒することを約束させた上で婚約を受け入れた。このときホイッマン夫人は45歳、ポーより6つ年上だった。
 難題は夫人の母親の同意を得ることだったが、家の財産相続権を母親に書き換えることを条件にようやく了解してもらうことができた。
 こうした紆余曲折のすえに婚約が整い、最後の取り決めのために、ポーは11月22日夜、夫人の家に姿をみせた。このときも約束を破って酒を飲んでいたが、相続権を放棄するという屈辱的な証書に署名し、24日に教会に結婚の公告を出し、25日挙式という最終的段取りがきめられた。
 翌23日、二人は準備のために外出したが、ここに至っても、夫人にポーの不行跡を注進するものがあり、加えてポーが前夜宿泊したホテルのバーで泥酔していた知らされた夫人は、外出から引き返すとその場で婚約の解消を申し渡した。
 ポーは翌1849年1月21日付けの夫人宛ての手紙で関係の解消を認めつつ、自分に対する非難はすべて中傷だと弁明した上で、最後は、「こうしてこの不幸な事件もやがて静かに消えて行くことでしょうと」と結ばれている。これが最後の手紙だった。
 ポーはこれから半年ほどして亡くなるのだが、婚約解消後は悪夢の連続だった。乱酒と貧困のためにときどき意識の混濁が起こったが、正気に戻ったときは執筆を続け、評論の代表作『ユリーカ』や『詩の原理』が書かれた。彼は1849年10月7日早朝、路上に倒れているところを発見された。行き倒れ同然の最後で、自殺ではないかとも疑われた。(続)
by monsieurk | 2013-05-17 22:28 | マラルメ
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