マラルメはこのときエドガー・ポーの婚約者であったサラ・ヘレン・ホイットマン夫人に写真を送る約束していて、ナダールの申し出を思い出し、彼に撮影を依頼しようとしたのだった。マラルメはホイットマン夫人へ、手紙とともに出版されたばかりの豪華詩集『半獣神の午後』を一冊送った。
ナダールの娘マルト・ナダールが1942年に書いているように、4点の肖像写真すべてをフェリックス・ナダールが撮ったのではなく、一部はこの頃アトリエの仕事を父から任さていた息子のポール・ナダールによって撮影された。マラルメは父よりも息子との交流が深かった。
写真が撮影された正確な日時は分からないが、1880年代半ばと考えられる。4点のうち、横顔のクローズ・アップと正面の顔写真は、1889年に撮影されたことは確かである。なおポール・ナダールは1890年から、マラルメの別荘があったヴァルヴァンに近い小邑サモアに別荘を所有していて、二人はセーヌ川にボートを浮かべて舟遊びを楽しんだ。
マラルメは『状況詩(vers de circonstance)』の一つで次のようにうたっている。
Le bachot privé d’avirons
Dort au pieu qui le cadenasse ――
Sur l’onde nous ne nous mirons
Encore pour lever la nasse
Le fleuve sans autres émois
Que l’aube bleue avec paresse
Coule de Valvins à Samois
Frigidement sous la caresse
Ce brusque mouvement pareil
A secouer de quelque épaule
La charge obscure du sommeil
Que tout seul essaierait un saule
Est Paul Nadar debout et vert
Jetant l’épervier grand ouvert.
わたしの所有するオール付のボートは
杭につながれて眠っている――
わたしたちは簗を引き上げために
川面に姿を映すことはまだしない
蒼い夜明けに愛撫される
二つとない感動のもと
冷たい川はゆっくりと
ヴァルヴァンからサモアへと流れる
そしてこの急な動きは
眠りの暗闇の重さを荷なう肩を
そっとゆするようだ
それは枝垂れ柳だけがするものだ
緑に染まったポール・ナダールは立ち上がり
投網をいっぱいに広げて投げる
(Mallarme:Œuvres ComplètesⅠ、P.145)